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名前 |
但馬屋敷跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.0 |
牧丘町倉科には、戦国時代、大村氏の支配地であり、詳細は不明だが、伊賀守系と但馬守系があったようで、ここは但馬守の屋敷地であったといいます。現在、果樹園の段差がありますが、昭和の初めまではここに土塁が乗っていたようです。この段差の脇に小さな説明板もありました。屋敷の境界ラインは曖昧ではっきりと区画することはできていません。また、果樹園の北側に鎮守の稲荷小祠があります。かつては塚状であったようですが、今は小さな祠が残るのみです。武田氏に支えていた大村氏は、武田氏滅亡後、北条氏に従い、天正壬午の乱で大野(山梨市)で徳川軍と戦って多くが討死しています。子孫は江戸幕府に仕えたといいます。