九百七十年の歴史を感じる薬師堂。
光善寺の特徴
薬師堂は西暦1700年頃に建立された、歴史深い建物です。
古い建物が持つ独特の雰囲気を感じられる場所です。
綺麗に掃除された境内が、訪れる人々を歓迎します。
光善寺の創建年代等は不明です。真言宗豊山派のお寺です。上総之介光重の一子曽我上総太郎光善が創建したと伝えられています。当寺の薬師堂は天平年間(729-749)の草創と伝えられ、行基菩薩が神亀元年(724)に制作したと伝えられる薬師如来像が安置されていたと伝えられています。行基菩薩の説法を聴いていた際に八幡大神(飯香岡八幡宮)が腰掛けていたとされる瑞石影向石が遺されています。境内にある安山岩製の石燈籠は、高さは約二メートルあります。平面六角形の基壇、複弁の先小花付十二弁を刻む平面円形の基礎が見られます。紀年銘はありませんが、細部の造形の特徴が温水春日神社(厚木市)の応永二十四年(一四一七)銘をもつ石燈籠に類似することから、形態的に室町時代前期の作とみられ、千葉県内の石燈籠では最も古いものと考えられます。この地域から見つかる瓦は、千葉市弥三郎第3遺跡や武士廃寺、国分寺創建瓦と同范のものや、光善寺独自のものなど多様の種類があり、川焼瓦窯跡からの供給品と考えられています。このことから光善寺廃寺の創建時期は、瓦の特徴から 国分寺より古い7世紀末から8世紀当初と思われます。
綺麗に境内は掃除されてました。
名前 |
光善寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.7 |
周辺のオススメ

言い伝えでは薬師堂は元緑十三年庚辰年 (西暦一七〇〇年)迄に九百七十年を経た古い建物です。また、本尊の薬師如来は聖武天皇治世の神亀元年申子(西暦七二四年)秋九月十二日に行基菩薩が一夜で造仏したと伝えられております。当地建立の縁起では光善寺は市原領主曽我稲目末葉で上総之介光重の一子曽我上総太郎光善で、その名を寺号としたと伝えられております。【現地案内板より抜粋】境内には、「瑞石 影向石」や「光善寺石灯籠」など、薬師堂以外にも見所が詰まっています。山木交差点から大多喜街道に入り、すぐ脇道へと逸れます。駐車スペースはあります。