伊奈忠治が築いた歴史の名所。
赤山城(陣屋)跡の特徴
赤山陣屋跡は伊奈忠治が築いた歴史的な名所です。
利根川東遷や荒川西遷に関与した伊奈家の遺構です。
履歴を感じる赤山陣屋跡で歴史にふれあえる体験ができます。
水道(というか水利灌漑)好きとしては親愛の情を覚えずには居られない利根川東遷、荒川西遷の立役者伊奈家の陣屋跡。綺麗に整備されてる割には、追加的な設備がとても少なくて極めてストレスレス。新緑が眼に嬉しい。
伊奈氏の陣屋跡。先代伊奈忠次の陣屋は伊奈町にあったが子の忠治はこの地を拝領するとここに陣屋を築いた。赤山城があるのは川口低地に突き出た岬の如き形状の安行・鳩ヶ谷台地。陣屋を囲む堀共々相当な防禦効果が期待できる場所となっている。同じく重要なのが見沼溜井を堰き止めている八丁堤に至近の場所ということ。治水工事を差配するのに丁度よい場所であったのだろう。赤山城には見学者用の駐車場が用意されており車で来たなら容易に見て廻れるが電車利用だと駅から相当歩くことになる。見学ルートは駐車場から堀に沿って西進、途中で北へ曲がり首都高環状線の見える北西端で終了となる。ルートの内部は私有地なので入れない。陣屋としての見所は堀と赤山日枝神社くらいだがそれよりも遊歩道に面した樹木が動物の姿に剪定されているのを見てほしい。ディズニーの世界に迷い込んだかのような景観です。
名前 |
赤山城(陣屋)跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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HP |
http://www.kawaguchi-bunkazai.jp/center/bunkazai/CulturalProps/bunkazai_002.html |
評価 |
3.9 |
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当地の偉人・伊奈忠治が築いた赤山陣屋の遺構です。伊奈忠治がどのような人物であるかの説明は割愛します。赤山陣屋とは、当地の代官であった伊奈忠治が、幕府から与えられた土地の上に築いた大規模な陣屋です。赤山城と言われることもあるようですが、江戸時代において、陣屋とは郡代や代官が支配するための拠点の事を指すようなので、「城」という言葉を用いて良いかは微妙な所です。赤山陣屋は東西1600m、南北1700m。低湿地や沼田を外堀として利用し、その内部を人工的な空堀と土塁で囲い、家臣の土地と伊奈家の菩提寺である源長寺を始めとした周辺の寺社仏閣を含めると77万k㎡にも及ぶ実に巨大なものであったとされています。ここを拠点に武蔵国東南部の開発が行われていましたが、開発が一段落すると、業務の大半は江戸の屋敷で行われるようになり、赤山陣屋にいたのは当番で赴任した家臣と、地元の名主から選ばれた下級役人であったそうです。伊奈忠治はともかく、それ以降の伊奈氏は基本的に陣屋には不在だったようですね。ちなみに、伊奈氏は当地の代官職を世襲しますが、忠治から10代目の忠尊が、不行跡を咎められて失脚。所領没収の上に赤山陣屋は破却されてしまいました。忠尊の失脚は伊奈家の権勢が増大していくのを快く思わない幕閣の思惑があったと言われています。しかし、受け入れられはしなかったものの、領地であった村々から忠尊赦免の願書を提出されていることから、領民の支持は強かったことが伺えます。現在は陣屋を構成していた建物は残っていませんが、遺構が整備されており、陣屋の姿を少しでも想像できるようになっています。今も生活道路として利用されている道もあるようで、伊奈氏が現在もこの地域を支えていることが分かります。川口市は工業都市のイメージが強かったのですが、この周辺は田畑が広がっており、のどかな風景を見ることができます。伊奈忠治の事は恥ずかしながら、ここを訪れて始めて知りました。伊奈氏の菩提寺であった源長寺を訪問できなかったのは少し心残りではありますが、どんな土地にも色々な歴史があり、様々な人たちのドラマが詰まっていることを感じました。