志摩城址で歴史を感じる散策。
志摩城の特徴
南北朝時代の大嶋城の地で、歴史を感じられる場所です。
志摩城址からは日本一低い山が見渡せる絶景があります。
整備された公園や駐車場があり、訪れやすい環境が整っています。
仕事の流れで行き着いたのですが、地形からして興味深いところですね。そして地名も「島」!研究が必要ですが、水路の位置や土塁の配置を考えると、志摩城跡とされている塙台は出丸のような位置付けで、本丸は二ノ台側だったのではないかと感じます。水運の要衝として発展したことで集落家したのではないかと…。
遺構は少ないですが、城下を散歩しながら当時に想いを馳せるのも面白い。
2021/12/7千葉本宗家終焉の地。胸熱だ。遺構は無さそうだが、八幡大神の周囲は切岸のように見える。
遺構は土塁と郭跡位。神社が本丸の一角に建立されていて、立派な駐車場あり。
行き道が分かりにくい!神社になってます!特に何も無かった。
駐車場があります。
近年、村の歴史の深さを物語るように、ここ志摩城址地から弥生中期の再葬墓が多数発見され、発掘場所に公園を造る事業開発が進められており、駐車場やトイレは整備済みとなっています。
此処から日本一低い山が、良く見えます😁近くに、鎮守の森の八幡神社が佇んでいます‼️
名前 |
志摩城 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.4 |
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南北朝時代に千葉大隈守胤貞が居城とした「大嶋城」の地とされ、室町時代の享徳の乱の際に、千葉氏宗家千葉胤直終焉の志摩城でもあります。遺構は乏しく、主郭とされる三角形の広い平場が広がるばかりです。主郭へのアプローチは車道と神社参道の間にカーブする階段が設けられていますが、これが本来の登城路のようです。桝形状にクランクしていますので、それっぽいです。主郭の西側、駐車場や公衆トイレのある窪みは「島ノ間」と呼ばれ、往時は舟着があったそうです。周囲の水田は、かつては湖沼で、水運に利用されていたというので、まさしく「島」のような景色だったのでしょう。西側の島集落は二郭や城下施設があったところといいます。江戸時代に禁教であった日蓮宗不受不施派の寺院があり、その僧侶たちを隠すために集落内に土塁や隠し道が張り巡らされています。