喜多院の静かな参道へ。
仙波東照宮の特徴
喜多院の裏手に位置する隠れた神社です。
朱色の随身門からの一直線の参道が素敵です。
葵紋の金属の門をくぐると拝殿が待っています。
喜多院の奥に鎮座する家康を祀る神社。規模は小さいですが、亡くなった家康の遺骸が安置されていた場所だったそうで日本三大東照宮の1つとされています。随神門、石鳥居、社殿が国の重要文化財。御朱印は授与所兼カフェにて300円で書置を頂けます。⭐️3つなのは自分が参拝した他の重要文化財に指定されている東照宮…上野東照宮や日吉東照宮、紀州東照宮、広島東照宮に比べると三大東照宮の割に非公開部分が多いから。
喜多院の裏手にひっそりあるこちら。なんと御朱印はお賽銭箱に300円入れて、脇にあるレターケースから自らいただく方式。この日は連休中だったためか、シニアボランティアガイドさんがおられ、なぜここが徳川と関係のある場所なのか、スライドを使って教えていただきました。喜多院までいくなら、ここも是非立ち寄りたいスポットです。
朱色の東照宮随身門の左右には随身像は見当たらず、門を潜って先にある石の鳥居を潜り、丁度50段ある石段を上がると葵紋が嵌め込まれた金属の門の先に拝殿があります。本殿には、東照大権現(徳川家康)像として御神体が安置されていますが、拝殿から先に入ることは出来ず、不定期に特別公開されているタイミングに合えば参拝は可能らしいですが…。東照宮と言えば、栃木県の日光東照宮、静岡県の久能山東照宮が有名ですが、○○三大東照宮には先の2つに、地域の東照宮を加えて三大と称しているところが多いようで、こちらもその三大東照宮の一つと言われています。埼玉県民としては三大の内の一つと思いたいところです。はい重要!🫵🏻テストに出ます😆こちらの仙波東照宮は、家康公の遺骨が久能山から日光に改葬される際に、喜多院の住職 天海大僧正が家康公の法要を喜多院で行ったことから、天海大僧正によって創建(1633)されたとされています。家康が没した1616年から翌年1617年の日光東照宮に改葬される迄の間、ここの仙波東照宮は存在せず、家康公が日光東照宮に改葬された後に創建した事になります。創建した5年後、寛永の大火(1638)により消失してしまいますが、再建と大修復を経て本殿や拝殿などが重要文化財に指定され現在に至っています。今は高台に在りますが、大火による消失の経験を生かして再建時には盛り土をして高台に築いたようです。天海大僧正は改葬の際の法要を行っただけでなく、家康公の神号を「大明神」では無く「大権現」に決める事に尽力したりと、神格化された家康への信仰心が強かった様で、その表れがここにあるのだと思われます。2025/01/26
名前 |
仙波東照宮 |
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ジャンル |
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電話番号 |
049-222-1396 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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喜多院からの観光参拝させて頂きました♪鳥居の方から参道に入りたいので、外側を回って随身門(ずいしんもん)からの…一直線の参道、素敵です♡が、社殿を守る随身像がいない(・_・;?さて気を取り直し参拝m(_ _)m御朱印は書き置き(¥300)お賽銭箱に入れるタイプでした…社務所は、洒落たカフェに併設されてましたが、今回は無人。゚(゚´ω`゚)゚。近くの八幡様で直書き頂ける様なので気になる方は是非!さて、童謡の「あんたがたどこさ」の発祥地(諸説有り)仙波山には狸がおってさ♪←ここの事らしいです(°▽°)薩長連合が川越城に駐屯して倒幕する歌詞…狸というのは家康公(失礼)…熊本地方より川越説の方が有力だそうです!知らなかった(^^)歴史を辿ると面白い…昔の人も(≧∀≦)三大東照宮 勿論鉄板で日光、久能山!そして此方の仙波山、滝山(家康生誕地の岡崎の鬼門封じ)同じく愛知の鳳来山、群馬の世良田(徳川氏発祥地)!埼玉県民なので、此方を応援したいですが(笑)世良田は此方と同じ南光坊 天海さん(世良田長楽寺)日光からの移築有りです♪天海さん、明智光秀説も…キリがないですね!信じるか信じないはあなた次第(笑)でわでわ、みなさんお気をつけて。