霞ヶ浦の夕日と歴史散策。
麻生城跡の特徴
麻生城跡は、羽黒山公園内に位置し、散策が楽しいスポットです。
空堀や土塁が残り、歴史を感じられるエリアになっています。
霞ヶ浦の絶景や美しい夕日が楽しめる、見どころ満載の場所です。
現在羽黒山公園になっていますが城の遺構は駐車場の西側にあり、空堀がよく残っています。公園のトイレも城郭風ですw
公園化されて、散策しやすい。遺構もまずまず。南方三十三縦の仕置きでやられた。
桜の名所だが、城跡として目を凝らすと、いろいろ見つかる。
霞ヶ浦の眺望が最高です。
鎌倉時代に常陸大掾氏の一族である行方(なめがた)忠幹の子・景幹の三男・家幹が麻生城を築き麻生氏を名乗ったのが始まり 景幹の長男・為幹が行方,次男・高幹が島崎,四男・幹政が玉造に城を築き,それぞれの地名を名乗りました 代々続いた麻生氏であったが1584年,同族の島崎城主島崎安定によって攻められ落城 麻生之幹は江戸崎城主土岐治英を頼って落ち麻生氏は滅亡 現在は整備され羽黒山公園となっている 殆ど遺構は見られない 近くに温泉があるらしい。
土塁や、空堀が良く保存されています👆また、此所から見る霞ヶ浦や、夕日は、格別です❗
遺構はほとんど残っていませんが、雰囲気を残すような立地にあります。大掾氏流行方氏の一族、麻生氏の居城でした。
名前 |
麻生城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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島崎城を見学した流れで麻生城を訪問です。常陸大掾氏の庶流である行方氏一族、麻生氏の居城です。行方宗幹の長男は行方氏の後を継ぎ、後に小高へ移住し小高氏を名乗る。二男は島崎に分封され島崎氏に、三男家幹はこの地で麻生氏に、四男は玉造に分封され玉造氏を名乗りました。この四家は行方一族の中心的な存在で行方四頭と呼ばれました。彼らの居城はその名に相応しくどれも規模の大きいものばかりでです。島崎城は特に飛び抜けて大きい気もするが。麻生城跡は現在、羽黒山公園として整備されています。東側は形状が変わっているかもしれません。西側はよく遺構が残っていました。堀が何重にも形成されていてかなり特殊な形状をしていたようです。現在墓地がある辺りや公園南側に行くと霞ヶ浦を見渡せます。当時は今よりも大きく霞ヶ浦を望むことができたのでしょう。