趣ある椙尾神社で犬祭り。
椙尾神社の特徴
毎年6月に開催される犬祭りがある神社です。
遠くからも目を引く立派な社殿が特徴的です。
歴史の古い神社で、大山一帯を代表する存在です。
趣がある神社です。書置き御朱印があります。地域の方が守り伝えてきた神社という感じです。石段途中に鎮座する狛犬が可愛いですよ。
2024.10.4鶴岡市馬町宮ノ腰に鎮座する大きな神社。旧社格は県社。山麓に駐車場あり。山麓から鳥居を潜り丘陵を上がって行くと、広い境内が広がる。境内社も充実している。
犬祭りはこの神社の祭礼だったと思う。メッケ犬の話はスサノオの八岐大蛇退治そっくりである。椙尾を平仮名書し濁点を取ればすきのお。祭神は事代主等だか、古くは椙尾大明神と言わていたと言う。スサノオ大明神では。八岐大蛇は出雲斐伊川に住むといわれる。龍神信仰の古代出雲王国に勝利したスサノオとは、垂仁天皇ではないか。母親は大彦命の娘。殉死を禁じ埴輪に替えた天皇である。事代主とはクナト王直系の出雲の王族である。武藤氏は勝者側に出雲の神を祭らせたのかも知れない。
遠くからもわかる立派な社殿に驚きました。石鳥居の来歴・武藤氏廟など見所あります。
神社犬まつりの元祖。
神名帳の出羽國飽海郡の項に記載のある小物忌神社の論社の一社。集落の奥、背後は山という位置に鎮座。・社伝によると欽明天皇の御代に創建という古社。御祭神は現在、事代主命を祀るが、元々、勧請により創祀された神社ではなく、古代よりこの地は神跡であったという。鎌倉時代に武藤出羽守が当地の地頭となり、月山神・大物忌神を勧請し、出羽の式内社9社を勧請し、総社として祀ったという。明治以前は小物忌椙尾神社と称していたが、明治2年に社名を椙尾神社に変更している。・当社ではしっかりと神社の管理がなされているようで、参道の脇には年間の神事が掲示され、顔の摩滅した狛犬には雨風を防ぐ覆いが付けられ、拝殿もとても立派。明治時代は県社に列し、また、永遠に当社が維持できるよう氏子たちが資金を集めて財団法人を設立、維持管理にあたっているという。
3年程前に参拝に行きました。石段を登る途中の狛犬さん、首に紅白の〆をつけていました。社殿向拝の水引虹梁の中添は向かって左が虎と竹・中央が松と鳥と亀・右側が龍と波、4本の向拝柱の手挟みは波と鯉。
兼務されているのか人の気配が全くありません。
毎年6月犬祭り。
| 名前 |
椙尾神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0235-33-0044 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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椙尾神社(すぎのおじんじゃ)。山形県鶴岡市馬町字宮ノ腰。式内社(小)小物忌神社論社、旧県社。【祭神】事代主神 (配祀)天津羽羽神 竜田彦神 竜田姫神 月山神 大物忌神資料によると、江戸時代前期の正保年間(1644年-1647年)、社殿が焼失し、古資料などが失われたので、詳細は不明。最初の鎮座は不詳であるが、第29代欽明天皇の壬戌の年、つまり同天皇3年(542年)の創祀と伝えられる。主祭神は事代主神。もともとは、勧請の神社ではなく、古来の神跡だった。中古になって、農耕が盛んになるにつれ、風の神である瀧田彦神・瀧田姫神を大和国龍田大社から勧請したという。鎌倉時代になり、当国地頭に任じられた武藤出羽守が、月山神・大物忌神を勧請し、自ら氏子となり、当社を厚く崇敬、大祭には自ら奉幣使前駆、後衛美々しく仕えたという。また、延喜式内社の出羽九座を奉招し、羽州一国の総祭を行ったともいう。後述の最上家の時代の例から見て、この頃、いかに当社が栄えていたかがうかがい知れる。最上家が入国し、慶長17年(1612年)6月4日、最上義光より黒印高170石5斗2升2合が寄進された。しかしこれは武藤出羽守の時代の10分の1だとも伝わる。それでも黒印地、あるいは朱印地が100石を超える例は、全国的にも珍しい部類に入る。最上家が滅び、酒井家入国後も、代々の古例を存続して崇敬された。今なお当社の神事として継承される斎倉祭は、武藤家の古例をとどめているという。明治以前は、小物忌椙尾大明神といわれていたが、明治2年(1869年)に現社号に改め、明治6年(1873年)に郷社に列し、明治9年(1876年)には県社に昇格した。明治37年(1904年)には、当時全国でも珍しい、神社を後援するための財団法人椙尾神社保存会が設立された。当社は最初、西浜の宮沢の海岸に鎮座していたが、後に現在地に遷座した。毎年6月の大祓には、神輿が元の浜に臨幸し、祭典が行われた。還御は、氏子の有志が松明をもって迎える。これが「みな月の松明まつり」として近郷近在に知られている。水無月の大祓いとも、松明行列とも。社殿は、応永年間(1394年-1428年)に武藤政氏が造営したものがあったが、現存の本殿は江戸時代前期の万治4年(1661年)の造営で、大正4年(1915年)に修繕を加えたもの。拝殿は文政9年(1826年)造営のもの。社家は、古来六供八太夫といわれ、神宮寺6寺、社家8軒を数えたが、明治の神仏分離により、それぞれ減少した。なお、慶長16年(1611年)、武藤家の家臣である下治右衛門、原美濃守の寄進による石の鳥居があり、現在は県の重要文化財に指定されている。境内社に、八坂神社・八幡神社・大山祇神社・佐田彦神社・桜の宮・武藤家霊殿・皇大神社がある。なお、式内社「小物忌神社」の論社は他に、酒田市山楯と飛島の小物忌神社、同市麓の飛澤神社、飽海郡遊佐町の劔龍神社がある。とあります。