鹿島神宮の摂社、坂戸神社探訪。
坂戸神社(鹿島神宮境外摂社)の特徴
風土記に名を刻む鹿島三社の一社で、歴史を感じられます。
いばらきヘルスロード沿いに位置し、参詣に訪れやすい立地です。
御祭神は天児屋根命で、鹿島神宮の直系として重みがあります。
ここに行くまでの古道がなかなかインパクトあります。普通の舗装された道もありましたが、赤い矢印を参考にすると、不安になる道を進んだ先に現れます。到着した達成感と、シンプルながら漂う神秘性が素敵です。
鹿島神宮の摂社。常陸国風土記に「天の大神の社、坂戸の社、沼尾の社、三処を合わせて、総べて香島の天の大神という」と記載のある古社で、鹿島神宮の境内には摂社・沼尾神社と当社の遥拝所があるという鹿島神宮にとって、特別な神社。社伝によると、鹿島、香取の大神は明石の浜(太平洋に面して一之鳥居があるところ)より上陸され、沼尾から臨むことができる対岸の香取の地へ経津主大神が行かれ、武甕槌大神は沼尾から現在の鹿島神宮に移られたと伝えられている。この坂戸の地は創建説話には出てこないのだが、鹿島神宮にとって、なぜ重要なのかというと、常陸国風土記に記載のある大中臣神聞勝命の祖神である天児屋根命を祀っていることから、鹿島神宮の祭祀を執り行ってきた中臣氏が祖神を祀るものとして、重要視されたのだろうと個人的には単純な説だが、そう思っている。ただ、鹿島神宮は当初は常陸国風土記にあるように、現在の鹿島神宮と坂戸、沼尾の三社から成り立っていた神社で、鹿島大神の本源地は沼尾であるという説のほか、坂戸であるという説、大生神社であるという説など様々ある。しかし、いずれにしても、鹿島大神の本源地は現在の鹿島神宮の地ではないように思う。なお、当社の祭神については異説もあり、額田部連の祖の坂戸毘古命であるという説もある。昭和61年に国指定史跡「鹿島神宮境内附郡家跡」の構成史跡の一つに指定されている。常陸国風土記は東国では唯一、不完全だが残っているもので、奈良時代の様子のわかる貴重なもの。
ご祭神は天児屋根命創建は不明ながら常陸国風土記に記される香島の天の大神の三社の一社。鳥居を潜り境内に入るとすぐに社殿があるのに森の奥にいるような感じがします、沼尾神社が明るい雰囲気なら、それに対になるような静かで厳かな雰囲気です。
御祭神は天児屋根命。天照大神が隠れた天の岩戸の前で祝詞を唱え,邇邇芸命の天孫降臨に随伴し,また,中臣(藤原)氏の祖神となった神様です。現在は鹿島神宮の境外摂社ですが,常陸国風土記には「香島の天の大神」が高天原から降臨し,香島(鹿島)の天の大神は,天の大神の社(現・鹿島神宮)・坂戸の社(境外摂社の坂戸神社)・沼尾の社(境外摂社の沼尾神社)の総称と記される神代からの古社です。アクセスはGoogleマップでは分かりづらいのですが,南側を通る小径を進むと,鳥居,その奥の鎮守の杜の中に社殿が鎮座していらっしゃいいます。沼尾神社は理由が分かるとして,なぜ当社が鹿島神宮に並び立つ「香島の天の大神」であったのか,真実は歴史の彼方の闇の中に消えてしまいましたが,必ず何かはあった・・・深々とどこまでも静かな御神域の中,そう考えていました。
坂戸神社(鹿島神宮境外摂社)さかどじんじゃ茨城県鹿嶋市大字山之上228祭神天児屋根命(アメノコヤネノミコト)中臣(藤原)氏の祖神沼尾神社と違って鹿島神宮の直系です沼尾神社はどちらというと香取神宮に近い鹿島神宮も原初的には多氏・物部氏系と推測されますが乙巳の変(大化の改新)以来中臣(藤原)氏の力が余りに強く鹿島神宮も当社も中臣(藤原)氏の神社となったと思われます2020/9/8 参詣。
いばらきヘルスロードの途中にありました。8世紀頃から鹿島の3大社との事です。そのお参りした道がウォーキングロードとなっているわけで、太古に想いをはせながら歩きました。
鹿島神宮の境外摂社です。鹿島神宮を参拝しもう一社沼尾神社にお参りした後にやって来ました。無人の神社ですが叢林の中に鎮座していて清浄感がありました。本殿は流造ですがとても古いものが残されていました。
常陸國風土記 香島郡条 坂戸社。
| 名前 |
坂戸神社(鹿島神宮境外摂社) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
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風土記に香島天の大神の社(鹿島神宮)・沼尾神社と並んで出てくる鹿島三社のうちの1社。駐車場は無し。神社東側に道路があるが下手に入り込むと転回できなくなるので北側の道路あたりで適宜駐車できそうな路肩を探すべし。神社自体はごく普通の小さなお社。