静かな杜に響く歴史の息吹。
木曽義昌公 史跡公園の特徴
武田勝頼公の義兄弟、木曽義昌公の史跡公園です。
国道126号線の近くに位置する静かな公園です。
お墓と座像の存在が見る価値ありと評判です。
武田勝頼公の義兄弟親族である木曽義昌公の史跡公園です。同じ親族の穴山梅雪公と共に武田家を裏切り主家を滅亡させました。色々な経緯により裏切る事となった木曽義昌公、この木曽家も穴山家も結局滅亡してしまいました。万葉集に詠まれた【夏麻引く海上潟の沖つ洲に鳥はすだけど君は音もせず】この海上潟が死後水葬された椿海です。干拓され今は波の音はしません。
武田勝頼公の義兄弟親族である木曽義昌公の史跡公園です。同じ親族の穴山梅雪公と共に武田家を裏切り主家を滅亡させました。色々な経緯により裏切る事となった木曽義昌公、この木曽家も穴山家も結局滅亡してしまいました。万葉集に詠まれた【夏麻引く海上潟の沖つ洲に鳥はすだけど君は音もせず】この海上潟が死後水葬された椿海です。干拓され今は波の音はしません。
武田信玄の娘真理姫を妻に持ち、親類衆となるも、裏切ることに。子の義利の代に改易される。
江戸末期、国学者・野々口隆正が木曽義昌没後250回忌に詠んだ歌、「信濃より いずるあさひをしたひきて東の国に あととどめけむ」から旭市の名が付けられたとのこと。本州最東端に近いからって、取ってつけたような市名では無かったのですね💧公園入口の傍らにいきなり墓があり、墓と公園の調和は、取ってつけたような感じがありますね💧木曽義昌、その人は対立していた武田信玄に臣従、勝頼の代に変わると、織田家と通じて半旗を翻し、その3ヶ月後に本能寺の変が起きると、混乱に乗じて旧織田家家臣“鬼武蔵”こと森長可に牙を剥くも、取り逃がし、小牧・長久手の戦いでは秀吉側につき、徳川家と刃を交え、これを撃退。しかし、体よく秀吉に木曽の地を奪われ、ここ風土も全く違う関東の一隅に転封され・・・逞しくも(と言っていいのか?)戦国の世を生き延びた武将ですね。
国道126号線のすぐ脇にあります。入口のアーケードがなければ義昌公の史跡と気がつきません。ちょっと英国庭園風の趣がありました。公園内に入ると季節の花々が綺麗に咲いていて手入れが行き届いた感じです。駐車場はありませんが私の車のようにコンパクトであれば1台は止められます。国道に近いのでどこかの店に立ち寄ったついでにここを訪れるのもありだと思います。さて武田氏滅亡の引き金を引いた木曽義昌公ですが戦国時代の終盤には信州からこの地に転封を余儀なくされたようです。鳥がさえずる信州木曽の山奥から潮騒の聞こえるこの地にやって来た時の心境はいかばかりかと思います。
管理が甘くけっこう荒れてしまっている公園としては使いにくいかも。
のどかな水田地帯にポツンと緑の杜があり、そこが木曽義昌公史跡公園です。水葬された場所とも言われていますが、かつてここが「椿の海」と呼ばれた海だか湖だったという事に驚かされます。公園自体は木曽義昌公銅像があり、遺跡水葬跡などの石塔があります。遺跡として訪れましたけども、公園としてはあまり整備されていない感が(苦笑)旭駅から徒歩で15分ほど、居城だった阿知戸城跡地にある菩提寺の東漸寺までも15分ほどと、アクセスは悪くありません。併せて訪問しましょう。木曽の森林地帯から環境の違いすぎるこの地へ転封されても腐らず街造りや水田開発に力を入れ善政を施して礎を築き、今に至っても語り継がれ慕われるとは凄い事です。その後、周囲は干拓されたといいますがどれだけ広大なのか、平地だけど土はどこから持ってきたのか・・旭市は今では農業生産高で千葉県1位、全国6位とか。義昌公の心が後世に伝わったのでしょうね。
小さな公園です。駐車場は有りません。
お墓と座像は見る価値アリと思いますが、公園は思ったより小さく手入れもされておらず荒れていたので公園を期待して行くとガッカリします。
| 名前 |
木曽義昌公 史跡公園 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
|
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公園は小さいですがベンチもあり手入れはされています駐車スペースはギリギリ小型車一台分です。