涼しげでカラフルな若宮八幡神社へ!
若宮八幡宮の特徴
御祭神は息長足姫尊・誉田別命・姫大神が祀られている神社です。
明治時代初頭には一直線の参道があった歴史を持っています。
国道355号線からアクセスが良く、道沿いに位置しています。
正式名称は若宮八幡神社。本殿は市指定有形文化財。三つの座が設けられており、祭神は誉田別命(応神天皇)、東座が息長足姫尊(神功皇后)、西座は姫大神(比売大神)。神亀5年(728)に建立されたと伝えられる。社宝は法華経一巻金文字。永保2年(1082)通称八幡太郎、源義家が奥州征討の折、当社に朝敵退散を祈願し、かぶら矢を奉納したと伝えられる。応永2年(1395)、太田道灌が参拝し武運長久を祈願した。源義家公は若松町の山車人形に用いられているほか、祭衣装や山車には源氏の家紋である笹竜胆をあしらったデザインが施されている。同名の神社は日本各地に存在し、多くは「八幡宮の若宮」という意味で、八幡神応神天皇の御子神である仁徳天皇を祀るものであるが、ここは「八幡宮本宮から迎えた新宮」の意味の「若宮」であり応神天皇が祀られている。室町時代、この神社は府中城内の神社で、下志筑にも国府の八幡神社があったとも伝えられている。下志筑の地は国府(府中)の一部であった。境内には回国供養塔という石碑がある。近代になって京の馬場(若宮4丁目から府中中学校近辺)の摩利支天が合祀された。室町時代当時の町名を『長法寺(長峰寺,長宝寺)』、宝永年間(1704-1711)に佳名をとって若松町と改名、昭和まで使用された。町名の由来となった長法寺は室町時代頃からあったが、明治3年(1870)の火事で焼失。長法寺に安置されていたと伝えられる十一面観音像は馬頭観音石碑と共に石岡市若宮一丁目八に保存されている。天正18年(1590)に佐竹義宣が府中を攻略した際に焼失したが、慶長7年(1602)、別当福蔵坊と伝える僧が本社並びに拝殿を建立する。また寛永4年(1627)、皆川山城守が拝殿建立。寛文5年(1665)領主松平伊勢守が本殿拝殿を修造。そして元文年間(1736~1740)の頃、八幡神社を管理していた天台宗東耀寺末の若宮山八幡寺別当欽長法印が改築している。明治2年の神仏習合禁止令により、別当から現在の管理へ移行したと思われる。毎年10月第二月曜日には若宮八幡宮例大祭が執り行われる。
とあるお祭りのついでに寄りました。
明治時代初頭までは、若宮八幡宮まで一直線の参道がありましたが、八郷方面にL字型の新しい道路ができました。門の左右には風神、雷神が配置されており、神社奥にも御神木があります。
涼しげでカラフルな神社。手入れが行き届いていて、簡単にアクセスできます。(原文)Cool and colorful shrine. Well kept and easy to access.
尼寺蹟を後に小学校の前の通りを総社へ向かって歩いていると、丁字路に八幡と他社への案内を見る。二者択一となると八幡好きなので八幡へ向くと、50m程先に鳥居と社殿が見えた。鳥居と社殿は、地方の八幡様同様小さな物だったが、随神門の立派さが際立っていた。(風神・雷神像あった)若宮とのことだが、鶴岡八幡宮と同じで、石清水八幡宮から勧請したからなのか、別の場所から移したからなのかは分からない。
色々行きます。公民館が在ります。
普通の神社。御朱印はありませんでした。
国道355号線香丸町柿岡街道入口の交差点を西側に入り直進すると有ります。
| 名前 |
若宮八幡宮 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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御祭神は息長足姫尊・誉田別命・姫大神。創建は神亀5(728)年で,永保2(1082)年には八幡太郎義家が奥州安倍貞任・清原武則追討の折,朝敵退散を祈願し,応永2(1395)年に太田道灌が武運長久を祈願した。天正18(1590)年に府中城が佐竹義宣に攻められ大掾氏が滅亡した際に一度焼失したが,慶長7(1602)年に再建された。社名が「若宮」八幡宮なので,てっきり御祭神は応神天皇(誉田別命)の御子神である仁徳天皇かと思ったのですが,どうやら八幡宮から分祀された新しい宮という「若宮」のようですね。息長足姫尊は応神天皇の御母神の神功皇后ですので,姫大神とは応神天皇の妃神である仲津姫命でしょうか。八幡通りの突き当たり,社地も社殿もそう大きくはありませんが,立派な朱色の随神門があり,この随神門と社殿は元文年間(1736-1740)の造営だそうです。歴史的にも常陸國總社宮創建の頃から共にこの地に鎮座していらっしゃった重要な古社であります。