山の斜面に佇む美神社。
金鑚神社の特徴
覆屋に守られた本殿が、山の斜面にあり特異な美しさを放っています。
大きさは控えめながら、神社全体が清潔感に満ち、大切にされている雰囲気が魅力です。
親しみやすい環境ながら、その独自の立地とデザインが印象に残る神社です。
(武藏國二之宮 金鑽神社の分社十一社の一社⑦)御祭神:天照大御神、素戔嗚尊、日本武尊。創建:年代不詳。御由緒書きによると、当社の境内は、河内の北端にあり、背後(北側)にそびえる三角形の山は、神川町に鎮座する武蔵国二之宮 金鑚神社の神体山に尾根が続いている。こうした立地から、神川町の金鑚神社との関係の深さがうかがわれるとあります。更に、氏子の間では二宮金鑚神社よりも古いと言われているとか、慶応元年(1865年)には、児玉大元神社と改称したが、明治三十二年に社号を元に戻したとあり、何でそうなるのか不思議なものです。社伝によると、当社は永禄年間(1558-1570年)の兵火により、社頭並びに吉什旧器のすべてを失い、元亀二年(1571年)に木村次郎五郎が再建したとある。これは『明細帳』によれば、永禄年間に木村次郎五郎が開墾を行った際、諸種の困厄が生じたため、延喜式内社である金鑚神社に祈願したところ、速やかに奏功なったことにより、元亀二年に報賽として金鑚神社の分霊を勧請し、村の鎮守として祀ったのが当社の始まりであるという。とあります。そうなるとこの河内の土地が、永禄年間に木村家の先祖の木村次郎五郎が開墾を行った土地であり、それ以前の時代、他の金鑚神社の様に創建にかかわる武蔵七党児玉党何某と言う、鎌倉時代前後の領主の記載がないかと探していたら、武蔵七党の一角を占める児玉党は、諸々の武士団の中では最大勢力の集団を形成する事となるが、そのきっかけとして、児玉党の本宗家3代目である武将児玉武蔵権守家行が3人の子息にそれぞれ領地を与えた事による。家行の嫡子であり、本宗家4代目となった家弘には大寄郷の栗崎の地を与えた。結果として、児玉党の本宗家は、その本貫地である阿久原牧や現在の児玉町河内を北上し、北部国境付近に館を築く事となる。とあり、本宗家3代目より前は、ここ児玉町河内あたりが本貫地であるらしく、平安時代まで児玉党一族の統治の時代を遡る事は出来るが、永禄年間に焼失する以前も金鑚神社であったかどうかは不明であり、そこにあった神社の創建年代も不詳です。もし氏子さんたちの言うように、二宮金鑚神社より古いともなれば、もはや神話の領域です。社殿の構えが山の斜面に沿って厳かな造りになっていて、拝殿より本殿が一段高いところにあり、幣殿が斜めになっている特徴ある社になっていました。
本殿は覆屋の中にあるが、拝殿より一段高い山の斜面にあるのが特徴的。拝殿に掲げられている扁額が面白い。
| 名前 |
金鑚神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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決して大きな神社ではありませんが、とても綺麗で大事にされているのだなと感じました。すぐ横の駐車場はご近所の方の私有地との事ですので、決して勝手に停めないようにしましょう。