新撰組も寄った歴史の宿。
幕府御用宿「釜屋」跡の特徴
旧東海道に位置し、江戸時代の武士や旅人で賑わっていた歴史ある宿です。
新撰組も立ち寄った場所で、歴史ファンにはたまらない魅力があります。
かつて繁盛していた建場茶屋の一つで、ノスタルジックな雰囲気が漂います。
旧東海道品川宿の宿であった釜屋は、参勤交代で江戸に入る武士や旅人でたいそう賑わっていたそうです。新撰組副長の土方歳三も宿泊した記録もあるそうです。今は、マンションとなりその遺構を感じることはできませんが、説明板があるのは嬉しいですね。
由緒正しい宿の跡。かの新撰組も宿泊したようで、以前あった説明板には「誠」のもじがあったようですね。以下説明文より南品川には旅人が休息をする「建場茶屋」が、数多くありました。江戸に最も近い品川宿は、江戸を立つ旅人達を見送る為の宴会の場であったり、また参勤で江戸に入る大名が、旅装束から江戸屋敷に入る支度を整える場所でもあり、大変賑わいました。中でも品川寺門前の「釜屋」は、海をのぞむ風光明媚な茶屋であり諸大名にも愛され、料理を供するようにもなりました。慶応三年(一八六七)には「幕府御用宿」として、多くの幕臣達が東海道を上下する為に利用しております。同年十月二十一日、新選組副長・土方歳三と副長助勤・井上源三郎が、新入隊士や故郷の支援者達、計三十一名で休息した記録が残されております。また、慶応四年正月十二日~二十三日、鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸に戻った新選組の「品川屯所」となっておりました。※、この品川の地で、幕末の風を感じて下されば幸いです。平成二十九年(二〇一七)九月古目青物横丁商店街振興組合新選組研究家汐海珠里、撰文。
2020/8/29 碑がなくなっていました……近くにあった袋宿からの贈り物の松は付近に移設されていたので碑もどこかにあるかと探したのですが見つけられず。
釜屋はかつて南品川にあって大変に繁盛していた建場茶屋の一つ。 慶應4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いに敗れた新選組隊士たちは、 同月15日に品川に上陸し、 しばらく釜屋に滞在していたとのことです。
この史跡に思い馳せる…
説明板のみがあります。
新撰組も立ち寄ったと知り看板しかありませんでしたが興奮しました。
看板が薄くなってましたが間違いなく本陣でした。
| 名前 |
幕府御用宿「釜屋」跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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永倉新八手記「浪士文久報国記事」慶応4年(1868)正月12日、鳥羽伏見敗戦により上方から関東に帰って来た新選組は品川宿釜屋に入った。三田品川戦争で南品川宿が放火されて(薩摩火事)17日後。釜屋はその被害に遭わなかった。xより。