三蔵法師の霊骨塔、歴史の重み。
慈恩寺の特徴
坂東三十三観音霊場の第12番札所で雰囲気があるお寺です。
三蔵法師の霊骨塔があり、歴史的な価値があります。
大きな本堂に明王の像があり、荘厳な空間が広がります。
坂東三十三観音霊場12番札所中国で見つかった三蔵法師のお骨が日本に返還され東京の増上寺にありましたが、第二次世界大戦の東京空襲を避ける為に、慈恩寺に疎開させ今に至ります。
伝統と格式ある立派なお寺でした。丁度、開山1200年行事として千手観世音菩薩の御開帳がされていて見応えありました。お堂内は撮影禁止で写真掲載出来無いが、とても威厳があった。
天台宗 華林山 最上院 慈恩寺は第3代天台座主慈覚大師円仁創建の平安仏教のお寺です。坂東三十三観音霊場十二番札所ですが、源頼朝の発願で出来た霊場ですね。この地域は寺名から名付けられた岩槻区寺恩寺と謂う地名ですよ。近くには十三重の塔の頂の中に、西遊記でお馴染みの玄奘三蔵法師の霊骨がお祀りされております。『中国仏教と日本仏教の縁(えにし)の賜物』でもありますね。そもそもお隣り中国で日本軍が荒廃した地を調査していた時に、石棺が見つかり副葬品から玄奘三蔵法師の物と判明した。当時の中国政府に引き渡すとその後霊骨は日本にもたされた。増上寺にあった霊骨は太平洋戦争の空襲で被害を受けずに済む場所であること、大慈恩寺に風景が似ていること等々条件が揃ったので此のお寺に遷すことが決まりました。その関係で大慈恩寺の寺名に倣い慈恩寺としました。慈覚大師円仁創建、源頼朝により坂東三十三観音霊場に成る、太平洋戦争の空襲を怖れ疎開、寺名を慈恩寺とする。では創建当時や観音霊場の頃の寺名は何と名乗っていたのだろうか。 疑問は深まるばかりだ。宜しければ調べて御教授して頂ければ幸いです。 合掌🙏 R6.9.7.追伸:R6.9.8.何年振りだろうか ? また行って来ました。画像は今回撮ったものを貼付けしておきます。
天長元年(824年)に慈覚大師によって開かれた天台宗の古刹華林山最上院慈恩寺。江戸時代には徳川家康から寺領100石を拝領していたということで地名の由来にもなっています。このお寺の見所は西遊記でも有名な玄奘三蔵法師の霊骨塔。第二次大戦中に日本軍が南京で発見した三蔵法師の頂骨(頭部)が分骨され慈恩寺が管理することになったもので、昭和25年に建塔されました。ここだけ中華な雰囲気が漂っていて是非訪れておきたいスポットですね。私が訪れた時(2022年)は道路工事中で慈恩寺から20分近く歩きましたが、今は近道があると思います。
三蔵法師が眠るお寺さんです。今藤棚が綺麗でした♬ゴールデンウィーク5/5正午より火渡りが出来るそうです😳ちょっと気になりました。行ってみるのも有りかも?
【御由緒】埼玉県さいたま市岩槻区 大字慈恩寺にある天台宗の寺院で、山号は華林山。院号は最上院。本尊は千手観世音菩薩であり、この寺は坂東三十三箇所第12番札所となっている。天長元年(824)に慈覚大師によって開かれた天台宗の古刹で、江戸時代には徳川家康から寺領100石を拝領していた。境内の十三重霊骨塔には、中国の古典『西遊記』でおなじみの三蔵法師玄奘の遺骨が分骨され、安置されています。【感想】自宅から程近くにあるお寺。地名の由来にもなっており、古くは中国の大慈恩寺から名前を取っているらしい。お寺は最寄り駅から少し遠いですが、目の前にバス停が有るので参拝には嬉しい配慮。一応、無料の駐車場も有りますが、キャパシティはそれほど無いので、公共交通機関を利用するのが良いと思います。ちなみに、直書きの御朱印も頂けます。
1日に地元の氏神様、2日にお参りしてきました。激混みかと思ったら近くの駐車場にすんなりと。御朱印は500円、おみくじを縛り付ける木がダメでほとんどのみくじが落下か破れてしまいます。お参りは違う宗派でも良いのでしょうか?
板東三十三観音巡りで訪問。最寄りの駅から歩くと25分くらいです。道中みるべきものもないのでクルマで行くことをお薦めします。お寺自体は立派です。
有名な般若心経を梵字から漢字翻訳した玄奘三蔵法師の霊骨塔が、さいたま市岩槻区にあります。薬師寺はここから分骨され、奉安。
名前 |
慈恩寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-794-1354 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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坂東33箇所巡りにて訪問。電車とバスを乗り継いで行きました。蓮田駅から一時間一本のバス。観音入口バス停で下車し徒歩約15分。本堂お参りして、三蔵法師が祀られている霊骨塔へ。徒歩約5分ですが、途中で本当にこの道で合ってるのかと不安になる道を歩き到着。大変でしたが良いお寺でした。