笠取山の地蔵堂、千代女の句碑。
北国街道(旧北陸道)千代女歌碑の特徴
旧北国街道の峠に佇む、千代女の句碑が魅力的です。
絶景の笠取山を望む、歴史深い場所以外にありません。
地元のみきを知る会による設置で地域に根付いたスポットです。
旧北国街道の道中、お地蔵様の片隅に小さく佇んでいます地元のみきを知る会による設置「かさとりの山や笑ひのもどかしき」千代女が吉崎参りの際に読んだ句ですがこの場所で読んだかは判りませんがかつてあった大坂茶屋から眺めた風景を読んだ句です意味:吉崎への途中に大阪茶屋があり、そこから眺める笠取山は草木が芽吹き始めています。しかし、自分が思うような春の山の生き生きした風景ではなく、少しもどかしい気持ちです。北国街道を北、大聖寺方向へは高速道を渡った先大坂茶屋・一里塚跡に続いています。
| 名前 |
北国街道(旧北陸道)千代女歌碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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加賀市の北国街道の峠、笠取山(かさとりやま)の地蔵堂脇に、江戸時代の女流俳人・加賀千代女(かがのちよじょ)の句碑がひっそりと立っている。この碑には「かさとりの山や笑ひももどかしき」と刻まれていて、今でも往時の風情を偲ばせてくれる。千代女(1703-1775)は、加賀の松任(現在の白山市)に生まれ、「朝顔につるべとられてもらい水」の句で知られる江戸中期を代表する女流俳人だ。晩年は仏門に入り、「素園(そえん)」と名乗って俳句を詠み続けたという。生涯に残した句はおよそ1900句にも及び、その優しく自然な表現で広く親しまれた。この笠取山の句は、千代女が宝暦12年(1762年)に吉崎御坊(よしざきごぼう・現在の福井県)へ参詣する旅の途中で詠んだものだと伝えられている。句碑にはそのことを伝える銘文も刻まれていて、旅路で感じた季節の移ろいや山々の景色への千代女の繊細な感覚が伝わってくるようだ。句意としては、「春を迎えた笠取山がほんのりと色づき始めているけれど、待ち望んだ本格的な春景色にはまだほど遠く、そのもどかしさに思わず苦笑してしまう」といったところだろう。俳句の季語として知られる「山笑う」を巧みに使い、早春の微妙な季節感を見事に表現している。碑の建立年や建立者は今となっては明らかになっていないが、この碑が立つ笠取山はかつて北国街道の重要な峠道だった。この街道は江戸時代、加賀藩の参勤交代の道筋として発展した歴史的に重要な街道で、越前や京都・大阪方面、さらに越後から江戸へと続く日本海側の動脈だった。北国街道沿いの加賀市内には、この笠取山をはじめ数多くの史跡や神社仏閣が今も点在している。例えば、街道沿いには橘宿(たちばなしゅく)という大きな宿場町があった。ここには大聖寺藩の番所や本陣が置かれ、江戸期の旅人で賑わったという。橘宿には千代女ゆかりの「植木茶屋跡」が残されていて、そこには彼女が詠んだ「四季いろいろことさら春の植木茶屋」という別の句碑も立っている。こうして千代女の句碑が複数立っていることからも、彼女の俳句がこの地域の文化や風土に根ざし、地元の人々に大切にされてきたことがわかる。また、笠取山の麓には御木神社(みきじんじゃ)という延喜式にも載る古社がある。古くから地域の守護神として信仰され、街道を行く人々が安全を祈願して立ち寄ったという。そのほかにも、加賀神明宮(かがしんめいぐう)や、服部神社(はっとりじんじゃ)などの神社が沿道に点在し、これらは現在も古くからの面影を色濃く残している。まさに北国街道の風情と歴史が色濃く詰まった場所だといえる。笠取山の千代女の句碑は、一見すると何気ない石碑だが、じっくり向き合えば、そこには江戸時代にこの道を旅した俳人の心情や、季節への感受性が静かに息づいている。さらに、この石碑が立つ北国街道そのものが江戸時代の歴史と文化の息吹を今に伝える大切な史跡群を含んでいることも忘れてはならない。加賀を訪れる際には、この笠取山を歩き、碑に刻まれた千代女の俳句をじっくり味わってみるとよいだろう。そうすれば、彼女が旅路の途中で感じたもどかしい春の訪れや、江戸時代の旅人が歩いた歴史の道に、自分自身も一歩深く踏み込むことができるに違いない。