道永八幡神社の青石塔婆。
青石塔婆 二基の特徴
道永八幡神社の右脇裏手に位置する青石塔婆です。
鴻巣市のホームページで紹介されている歴史的なスポットです。
供養や逆修供養のために訪れる方が多いです。
こちらの2基の大きな青石塔婆は、道永八幡神社 右脇裏手に立っていて、鴻巣市のホームぺージでは、道永の板碑2基 と紹介されています。鳥居横の解説板によると、北を向いて立っているは文永7年(1270)銘の阿弥陀一尊種子板碑で、東に向いている方が、正応2年(1289)銘 阿弥陀尊の下に五輪の塔がきざまれた、とても珍しい板石塔婆です。共に鎌倉期造立の特徴ある板碑とのことです。2024年末に周囲の林が伐採され、都市開発が始まり有り様が一変しました。
| 名前 |
青石塔婆 二基 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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青石塔婆があることを知り訪ねました。供養や逆修供養のための板碑。歴史と時代を知り青石塔婆の造詣が深まればと思い訪ねました。想像していたよりも大きかった。向かって左は1270年のものだそうで北向に建てられています。そして難読な種字を見ることができましたが、説明板を見なければ阿弥陀如来の種字とは読めません。良く見かける「キリーク」の種字が刻んでないので造詣を深めるチャンス到来!😂向かって右は1289年のものでひと回り大きく東向です。こちらの刻んだ文字は上の丸っぽいのがお釈迦様を表し中央が阿弥陀如来、下が蓮華座を表しています。緑泥片岩(青石塔婆/秩父青石)は長瀞野上が産地でした👍 車のない時代、産地から運び込んだ緑泥片岩は荒川を筏で運びました。近くには元荒川もあり水運ということです!青石塔婆はお寺で見掛けたりしますね。では何故に神社に在るのでしょうか!第十五代応神天皇をご存知ですか?神功皇后の三韓征伐の際はお腹の中にいたのが応神天皇(誉田別尊)です。平安時代から鎌倉時代に遷ると武家の時代へと成っていきますが、応神天皇が武人の神、八幡神と謂われた時代には武将が戦勝祈願をするのでした。そうですその場所こそが八幡神社(神宮)なのです。日本人は神様仏様を崇める神仏習合の時代を暮らしてきました。本地垂迹説では八幡さま(垂迹)は姿がないので視覚化のできる仏様(阿弥陀如来)を本地とする思想がありました。この様なことで道永八幡神社には本地弥陀如来の青石塔婆があるのかも知れません。結論 : 青石塔婆がある 鎌倉時代のもの産地は長瀞野上 本地垂迹説で神社に在るのかも? 時代は分かったが設置の理由は判らないご拝読ありがとうございましたR7.10.13.訪問。