時代を感じる金野町駅。
金野町駅跡の特徴
ホームがしっかりと残る金野町駅跡で、歴史を深く感じることができます。
時代の移り変わりを体感できる場所として、独特の雰囲気を醸し出しています。
周囲の風景とともに、少しさびしさを感じる貴重な史跡です。
ホームがしっかりと残っています。ホーム半分が高さが低いのはなんでなんかなぁ?低いのが元々で、一部嵩上げしたから2段階?など考え始めたらすでに30分経っていた!
時代の移り変わりが感じられ、少しさびしくなった。
| 名前 |
金野町駅跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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最盛期に人口5,000人を誇った尾小屋鉱山と、そこに通じる唯一の鉄路を担った金野町駅は、地元の要望で改称された経緯を持つ小さな駅だった。現在は静かな山あいに、その面影をひそやかにとどめている。金野町駅(かねのまちえき)は、小松市金平町に存在した尾小屋鉄道の中間駅である。尾小屋鉄道は尾小屋鉱山の銅鉱石輸送を主目的に、1919年に新小松〜尾小屋間で旅客営業を開始し、1920年に全線が竣工した。軌間762mmの軽便鉄道で、総延長は16.8km。金野町駅はその中ほどに位置し、駅設置当初は「六橋停留場」と称していたが、昭和40年(1965)に地元集落名を採用して「金野町」に改称された。当駅の立地は郷谷川を挟んで金野町集落の対岸にあり、駅自体は金平町側に属する。このため、駅名と所在地が一致しないという特徴がある。名称の変更は、当時駅を利用していた住民の大半が対岸の金野町に居住していたことに配慮した措置とされている。尾小屋鉄道自体は、明治期から昭和中期にかけて盛隆を誇った尾小屋鉱山の発展とともに設立され、正田順太郎の私設鉄道として1919年に開業。後に横山鉱業部を経て、昭和4年には尾小屋鉄道株式会社が発足し、地域の産業・生活に深く根ざすこととなった。金野町駅跡は、現在ではホームとみられる土盛りや石積みの遺構が雑草に覆われながらも確認できる状態で残っている。駅舎や施設はすでに失われており、文化財としての指定もないが、鉄道遺産としての価値は高く、地元でもひっそりとその歴史が語り継がれている。駅跡の正確な住所は「石川県小松市金平町新111-1」とされるが、番地の裏付け資料は確認されておらず、実際の立地は金平町内の農地や小屋に隣接した一角である。駅から郷谷川を見下ろすと、川の対岸には今も金野町集落が広がっており、当時の利用者が川を渡って駅まで通ったとされる。現在、集落と駅跡をつなぐ橋は現存しない。尾小屋鉄道全盛期の昭和30年代には、年間乗客数が100万人を超え、列車本数も1日14往復に達した。金野町駅も通勤や通学、農作物の運搬などで活況を呈し、特に朝の時間帯には小さなホームが人で埋まることもあったという。しかし、高度経済成長期を迎えると、自動車交通の普及とともに旅客数は減少を始める。さらに、1971年には尾小屋鉱山が閉山され、鉄道はその輸送対象を失った。1976年度には経営母体の名古屋鉄道が路線廃止を決定し、1977年3月19日に最終列車が運行された。最終日は記録的な大雪に見舞われ、尾小屋駅までは列車が到達できず、二駅手前の倉谷口駅で折り返し運転となった。翌3月20日をもって全線が正式に廃止され、金野町駅もその歴史に幕を下ろした。当時の駅名改称に際しては、地域新聞にその旨が報じられ、住民の間でも話題となった。尾小屋鉄道では他にも利用者の便を図って駅名を地名に合わせて変更した例があり、金野町駅もその一つに数えられる。なお、駅改称に先立って駅名標が新調された際には、旧名の標識が住民の間で記念品として回収されそうになり、鉄道会社が保管を呼びかけたという記録もある。尾小屋鉄道と金野町駅に関連する遺構として、近隣には小さなアーチ型の石橋が残されている。これは金野町駅と金平駅の間にあたる洞月川に架けられたもので、大正8年頃に敷設されたと推定されている。地元産の凝灰岩を用いた美しいアーチ橋で、苔むした外観が往時を偲ばせる。現在は小松市の「石の文化」レガシー第24号に認定されており、尾小屋鉄道の構造物としては貴重な現存例である。また、尾小屋鉱山関連の文化財としては、独自の製錬副産物「亀甲カラミ」を使った建造物群も知られている。六角形の黒い煉瓦で積まれた土蔵や擁壁が鉱山町の景観を形成し、こちらも「石の文化」レガシー第25号として登録されている。これらの遺構は、尾小屋鉄道を通じて結ばれた金野町駅とも間接的に産業圏を共有していた存在である。現在、尾小屋鉄道の終点であった尾小屋駅跡地には「小松市立ポッポ汽車展示館」が整備されており、動態保存された車両やディーゼル機関車の体験乗車も行われている。金野町駅自体に遺構や展示施設はないものの、尾小屋鉄道の一部としてその存在は資料館のパネルや沿線マップに取り上げられている。さらに、鉱山の坑道内を活用したトロッコの復元運行も一部で進められており、かつての鉄路の記憶が現代にも引き継がれている。金野町駅跡は観光地ではないが、軽便鉄道が果たした地域交通の役割、鉱山と暮らしを結んだ記憶、そして地元集落との関係性など、複数のレイヤーが交錯する歴史的スポットである。舗装もされていない小道の先にある駅跡を訪れるには、それなりの準備が必要だが、現地に立てば鉄路があった時代の空気が確かに残されていることを感じるだろう。