笠間城の石垣と坂道。
笠間城 天守跡の特徴
八幡台櫓が真浄寺に移築されている歴史がある。
東日本大震災の影響で一部が危険な状況に。
天守郭部分には美しい石垣が残っている。
城址公園から長い階段が続いていてそれをひたすら登ると現れます。しかし、東日本大震災の影響で崩落の危険があるため現在は階段の手前からの参拝になっております。ちなみに城址公園にある小さい小屋みたいなところは天守跡ではなく櫓あとなので注意してください。
八幡台櫓は真浄寺に移築されています。
✳️大きな石垣や階段が荒々しく積んであり、天守閣までは、かなりきつい坂道で、最上部に佐志能神社の社殿があります。この社殿は、笠間城天守閣を再利用して建造されているとのこと。東日本大震災で、石段が崩れていて危険な状態です。
笠間城(かさまじょう)は、茨城県笠間市の佐白山にあった日本の城です。江戸時代には、笠間藩の藩庁が置かれました。笠間城は笠間時朝(塩谷時朝)は承久元年(1219)、築城しました。慶長5年(1600)関ヶ原の戦い後に松井松平家が入城しました。その後諸氏が封じられ城主は目まぐるしく入れ替わりました。永享4年(1747)、牧野貞通が8万石で封じられ、以後牧野氏が明治の廃藩まで笠間の地を治めました。天守曲輪には、佐志能(さしのう)神社があります。延喜式神名帳の佐志能神社の論社です。主祭神は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと:第10代崇神天皇皇子)建御雷之神、大国主神です。佐白山の山頂(182.1m)に鎮座しています。
25年1月、お社は倒壊の危険があるため最上部に行く階段は上がれません。朽ちかけた石垣に木々が生い茂り、戦国時代の繁栄ぶりが偲ばれる。
国替えで宇都宮に移った蒲生氏。家老職の郷成が笠間城代として入城し整備に取り掛かる。特異な石積技術集団により笠間城は近世城郭らしい姿に整ったと想像できますね。廃城により天守はないが、鯱鉾を上げた立派な漆喰二層の物見櫓[八幡台櫓]が真浄寺境内に移築され文化財に。白亜の城楼が聳えていた佐白山、昔日の姿が偲ばれますね。
笠間城天守があった場所です。当時のままの石垣が残り、過ぎし年月の重さを語るようです。東日本大震災以降、天守台下までの見学となっています。なお、登り口の石碑には「天主跡」と彫られていますが、「天守跡」の誤りでしょう。
東日本大震災の影響で石垣や階段が崩落している所があり危険です。
天守郭部分には石垣が残っている。天守郭の上にはお社が建っているが、東日本大震災の影響で現在は立入禁止の看板が立っているのでご注意ください。
| 名前 |
笠間城 天守跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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笠間城の最高所に位置する「天守曲輪」のことで、文字通りかつて天守(天守櫓)がそびえ立っていた場所です。戦国時代までの関東の山城には、いわゆる「天守閣」のような立派な高層建築はほとんど作られませんでした。しかし江戸時代初期、小田氏や浅野氏が城主だった時代に、この佐白山の最山頂に独立式2重2階の瓦葺き天守が築かれました。山頂に天守を持つ城は、関東ではここ笠間城のほかには「宇都宮城」などごく一部に限られており、非常に貴重な存在です。