高野七弁財天巡り、一社の心。
綱引弁財天社の特徴
弘法大師が祈願した高野七弁財天の一社です。
南都銀行高野山支店の隣に位置しています。
由緒書は消えていますが、訪れる価値があります。
高野山七弁財天巡りの一社です。
金剛峯寺の東側にひっそり佇む小さな神社。七弁財天社の一つです。
優しく受け止めて下さる仏様です。とてもご利益がありました。
南都銀行高野山支店の隣にあります。
高野七弁財天の一社、由緒書が消えて判読出来ませんが、ネットによると「弘法大師が高野山ご開創の時、その繁栄を祈って山内七ヶ所に祀られた弁財天の一つ。各々水源の位置に当たるといわれ、水に由来した綱引(または船引)と名付けられた。これを祈れば、福徳と智慧を得る」と書かれているようです。御神体は、蛇体に女人の顔の宇賀神とのこと。昔、高野山が食料に窮乏していた時、弁財天が宝船を引いて降臨し、人々に食料を与えたと伝えられています。
| 名前 |
綱引弁財天社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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南都銀行高野山支店の脇、駐車場の一角にひっそりとお祀りされている弁天さまです。銀行の付属施設のように見えてしまいますが、実際にはこの場所の近世以前の歴史を今に伝える、非常に大切な小祠です。こちらは「綱引弁天」「舟引弁天」などと呼ばれ、高野山に伝わる「高野七弁天」の一社とされています。弘法大師が高野山の水源や山内を守るために勧請したとも伝えられ、蛇身に女性の顔を持つ宇賀神を御神体とする弁財天信仰に結び付けて説明されています。かつてこの周辺には、金剛峯寺に隣接する塔頭寺院の高福院があり、この弁天さまはその鎮守として祀られていたと伝わります。高福院には、高野山が食糧や資財に窮した際、弁財天が宝船を引いて現れ、山内の僧侶たちを救ったという伝承も残されています。「高い福徳」をもたらしたことが、高福院という寺名の由来になったともいわれています。その高福院は現在この地にはなく、弁天さまの小祠だけが、南都銀行高野山支店の敷地脇に残されています。かつて高野山に財宝と福徳を運んだとされる弁財天が、現代では銀行の脇に鎮座しているという光景には、何ともいえない歴史の巡り合わせを感じます。南都銀行は、昭和9年に六十八銀行・吉野銀行・八木銀行・御所銀行の合併によって誕生した銀行です。その吉野銀行の系譜には、吉野の林業・材木業と深く関係した吉野材木銀行も含まれています。このため、旧高福院の土地と吉野の材木商の借金を結び付けた話が語られることもあるようです。ただし、「材木商の借金を高福院や弁天さまが肩代わりし、土地を銀行に取られた」という話については、現時点ではそれを裏付ける確かな史料を確認できません。面白い口伝ではありますが、史実として断定するのは慎重であるべきでしょう。確実に確認できるのは、この場所が旧高福院に関係する土地であり、弁天社がその鎮守として伝えられてきたこと、そして現在の南都銀行が吉野銀行や吉野材木銀行の歴史を受け継いでいるというところまでです。昭和末期には、現在の銀行支店の建設に先立ってこの周辺の発掘調査も行われ、近世から明治時代にかけての遺構や陶磁器類が確認されています。目の前の銀行建築だけを見ていては分かりませんが、この一角には長い寺院史と高野山の生活史が重なっています。高野山では金剛峯寺や奥之院などの大きな寺院に目を奪われがちですが、このような小さな祠にも、失われた寺院や地域の記憶が残されています。銀行の片隅にある弁天さまとして通り過ぎるのではなく、旧高福院の鎮守であり、高野山の福徳と水を守ってきた存在として、静かに手を合わせていただきたい場所です。