水上飛行機の歴史を感じる楡原の魅力。
昭和天皇行幸紀念碑の特徴
昭和22年に建てられた歴史的な碑である。
昭和天皇行幸を記念する特別なスポット。
かつて高田アルミニューム器具製作所があった場所に位置する。
かつて楡原には高田アルミニューム器具製作所という会社の工場があり、海軍の指定工場として水上飛行機のフロート(浮タンク)などを製造していました。工場には一般の工員の他に富山県の中学生・女学校の生徒が学徒動員で多数動員されており、会社では彼ら・彼女らのための寮も作っていました。この寮は戦後、外地からの引き揚げ者のための宿泊施設(恩賜財団同胞援護会楡原寮)として利用されることになりますが、昭和22年、全国巡幸の一環で富山入りされた昭和天皇は一連の日程の最後にこの楡原寮を訪問されました。「十一月一日。天空一碧、燦々たる秋陽は、神通川の碧水に映照して、山腹峡谷の霜葉は絢爛たる錦繍を織り成して居る」――とは、この日の模様を記した『富山県行幸記録』の一節です。今となっては、軍需工場のことも、そこで働いていた「学徒隊」や「女子(勤労)挺身隊」のことも、外地引き揚げ者のことも、すべては「遠い昔」の出来事になってしまったようで、この昭和天皇行幸紀念碑も大切に維持されているようには見えません。周囲を囲む鉄柵くらいは新しいものに変えて欲しいなあ。鉄柵の錆具合がそのまま「記憶の風化」を物語っているようで……。
| 名前 |
昭和天皇行幸紀念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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昭和天皇行幸紀念碑(しょうわてんのうぎょうこうきねんひ)は、戦後まもない昭和22年(1947年)に昭和天皇が富山市楡原地区を訪れたことを記念して建てられた碑だ。戦後、各地を巡幸して国民を励ましていた昭和天皇は、同年10月末から11月初旬にかけて北陸地方を訪問し、富山県内では富山市中心部の被災地や学校を視察した後、11月1日に楡原を訪れている。当時の富山市は、昭和20年(1945年)8月の富山大空襲によって壊滅的な被害を受けていた。市街地の大半が焼け野原となり、多くの住民が困窮した生活を送っていた。楡原地区は富山市郊外に位置し、戦時中は高田アルミニウム工場が建てられ、多くの労働者が集まっていたが、戦後は工場が閉鎖され、その寮が戦災者や引揚者たちの仮住まいとなっていた。天皇の訪問先となった楡原寮もその一つだ。昭和天皇は楡原寮を訪れ、直接戦災者や引揚者の生活状況を視察し、励ましの言葉をかけている。地域住民にとって、この訪問は単なる慰問以上の意味があり、皇室が地方の人々の苦難に寄り添い、再建への力を与えた重要な出来事となった。また訪問の際、昭和天皇は立山杉の苗木を3本植樹し、これは地元に「お手植え杉」として今も大切に守られている。この植樹は後の全国植樹祭の先駆けともなり、森林保護の象徴としても語り継がれている。紀念碑は地元住民らの寄付と協力により建立され、高さ数メートルの花崗岩製の角柱だ。表面には「行幸記念」と大きく刻まれ、側面には建立年月日や訪問内容、寄付者の名前などが記されている。地域では現在も紀念碑の清掃や献花が毎年行われており、地域の記憶として大切に継承されている。地域の歴史と昭和の日本の復興史を肌で感じられる貴重な史跡と言えるだろう。