江戸時代の反対運動、清助と清蔵の墓。
清助・清藏の墓石の特徴
江戸時代中期の歴史を感じる重要文化財の墓石です。
糸絹運上金反対運動の偉人たちの墓が存在します。
清助と清蔵兄弟の伝説が息づく歴史的な場所です。
甘楽町指定重要文化財。圓明院という雰囲気が変わったお寺にあります。町のサイトから抜け書きします。天明元年(1781年)に勃発した糸絹運上金阻止活動の指導者であった清助、清藏の墓石。高額な運上金阻止活動の指導者の一人清助は八丈島に遠島、清藏は追放(牢内で病死)の処断を受けた。墓石の石材は砂岩、高さ63.5cm、正面幅27.3cm、側面24cm正面に二人の戒名、右側面に二人の俗名、左側面に嘉永元甲七月七日、裏面はノミ状工具による調整痕のため何も刻まれていない。正面向かって右側に「嶌流道學信士」(清助)、左側に「流岳寛良信士」(清藏)の戒名が刻まれている。この墓石は、天明糸絹運上金阻止活動より67年後の嘉永元年(1848年)に建立されている。縁故者達が二人の遺徳を偲んで建立したものと考えられる。二人の業績を讃え、その大恩を忘れずにいたためであろう。歴史的にも地方史的にも貴重な石造遺産といえる、とあります。
| 名前 |
清助・清藏の墓石 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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江戸時代中期のこの地における、糸絹運上金の反対運動を率いた白倉村の清助と清蔵兄弟の墓。運動の結果兄弟の1人は獄死、1人は八丈島へ流罪となった。円明院の墓地にある。