平群町の大山祇神、静寂の奧深く。
平群神社の特徴
平群神社は、由緒正しい式内社大社で歴史を感じることができます。
天照大神を祀り、戦勝祈願のために建立された神社です。
鮮やかな緑に囲まれた、静かで落ち着いた雰囲気の場所です。
奈良県には沢山の神社がありますが、大山祇命を祀る神社はあまりありません。個人的に各地にある大山祗命を巡っている関係でこの神社を参拝しました。木製の神明鳥居に屋根がかかっているのがまず目に入ります。鳥居を潜って石段を登ったところに大きめの祠サイズの本殿があります。大きくはないけど丁寧に作られた本殿です。本殿の左隣には小さな祠があって、そこには天照大神が祀られています。小さな山の中腹に建立されていますので、社殿からの風景はなかなか良いです。境内はそんなに広いわけでもなく、神様を祀る社殿も小ぶりですけど、雰囲気の良い神社だと思います。御朱印は書き置きで100円、絵馬もあって500円。いずれも賽銭箱にお金を投入する方式です。それとは別におみくじ販売機があってこちらは100円です。駐車場情報。駐車場がちょっとシビアです。神社に到達するあたりの道幅が結構せまく、運転が苦手な人(というか車幅感覚がない人)は直接的なアプローチはやめといた方がいいかもしれません。さらに境内横にある駐車スペースへの出入りも結構厳しいです。神社から西へ徒歩5分ほどのところにある平群中央公園の駐車場に停めるのが吉と思われます。神社のちょっと北側に「平群神社駐車場」という案内板がありましたが草ぼうぼうでちょっと入っていくのが躊躇われる感じでした。拝殿に掲示されていた資料と由緒記を転記しておきます。平群神社に関する歴史資料(年代順)1.延喜式神名帳[延喜5年(905年)〜延長5年(927年)にかけて編纂]延喜式神名帳には五座(ござ)・並大(ならびにたい)・月次(つきなみ)・新嘗(にいなめ)とある。祭神の五座の詳細はわからず。社格の並大は1社に2神以上がある大社で1社に1神の大社の場合は大のみの表記になる。月次(案内板は月並と記す)と新嘗は行っていた祭事のこと。月次祭:古くは毎月行われていたようであるが延喜式においては6月と12月の11日に行うが規定され幣帛を受ける祭り。その意義については不明。新嘗祭:天皇が国家と国民の安寧と繁栄の為、収穫された新穀を天神地祇に供えて感謝の奉告を行い、これらの供え物を神からの賜り物として自らも食し、その年の収穫に感謝する儀式。毎年11月に幣帛を受けその1年の収穫を祝う。日本書紀で皇極天皇元年(642年)11月16日に新嘗祭の記述があるのが文献に出て最初のもの。2.検地帳(延宝7年・1679年) 春日大明神と呼ばれている。3.西之宮村報告書(天保3年・1832年) 春日大明神とある。4.明治時代の神社明細帳(明治12年・1879年) 大山祇神と記している。5.大和志料(明治23年・1890年〜明治27年・1894年)大神神社宮司の斎藤美澄が当時の県知事、小牧昌業の依嘱によって明治23年編纂に着手し明治27年に完成した大和国の地誌で大正3年(1914年)奈良県教育会から刊行。その中で平群神社を以下のように記載。 ※平群町は明治22年〜29年まで平群郡明治村であった。明治村大字西宮ニアリ、俗に西宮ト稱󠄁ス、延喜式ニ平群神社五座並大月次新嘗ト見ユ、今村社タリ、祭神詳ナラズ6.昭和の宗教法人法登記(昭和25年・1950年)大山祇神と記している。(以上)令和4年10月17日 平群町観光ボランティアガイドの会 松名 記由緒記一、鎮座地 生駒郡平群町西宮六一七番地一、本社御祭神 大山祇神一、境内社御祭神 天照大神一、由緒御祭神大山祇神は山野を司る神で、平群氏の祖武内宿弥が神功皇后と共に朝鮮へ出兵の際、戦勝を祈願しこの地に祀ったと伝う。のち五穀豊穣と、武運長久、家内安全の守護神として信仰をあつめ今日に至る。延喜式神名帳に「平群神社五座(並大、月並、新嘗)」とあり、神宮寺として龍?華山西宮密寺があった古い社格の神社である。一、秋季大祭 十月十五日延喜式内社 平群神社。
公園から歩いてすぐのとろにありました静かでいい神社でした。
少し細い道があり、運動公園を超えたところにあります。地元の人たちに愛されている神社のようで、いつも誰かがいます。なんと言っても御朱印がお賽銭箱の横にあり、封筒に代金を入れるという方法です。春に行けば綺麗な公園で小さい子がいっぱいいてたのではないかと思いました。お神酒もお正月は配っていたので、1度飲んでみたいなぁと思いました。(この日は車で言ったもので…)
綺麗に整備されていました、御朱印頂きました。
平群の祖神を祀る式内社大社ということで期待して参拝しました。現在の御祭神は大山祇神です。古い集落の中にあるので道が狭く車を停めるのに苦労しました。神社の駐車場はたくさんあるみたいですが、あまり案内がありません。地元の方しかお参りに来ないのかもしれません。それでも合格祈願の御札などが結びつけてあったので勝負の神様になっているようです。今も崇敬者の多い神社だと思いました。
・民家の中にありますが、緑もありとても静かで落ち着いた雰囲気でした。・御朱印は社務所ではなくお賽銭箱の隣に箱があり、その中に書き置きのものがありました。箱の中に入っている小袋の中に100円を入れて、お賽銭箱の中に投函するようです。御朱印の日付けは『令和○年 ○月 吉日』となっていました。・その箱の中には絵馬も入っており、こちらも御朱印と同じように小袋の中にお金を入れて、お賽銭箱の中に投函するようです。絵馬は500円と記載されていました。・本殿を背にした右手側にはおみくじを引くところもありました。
天照大神が祀られています。平群にお住まいの方は御参拝に行かれることをお勧めします。
天照大神が祀られています。平群にお住まいの方は御参拝に行かれることをお勧めします。
平群真鳥公の祖父である竹内すくね公が神功皇后陛下との補佐で朝鮮半島に渡って戦って勝利した三韓征伐の前に戦勝祈願したのが平群神社である。我が国を守ろうとした素晴らしい平群氏の神社である。
| 名前 |
平群神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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平群神社(へぐりじんじゃ)。奈良県生駒郡平群町西宮。式内社(並大)五座、旧村社。俗称は「西宮」。主祭神:大山祇神。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳での祭神の記載は5座。元々は古代氏族の平群氏の祖神を祀ったとされる。5座の詳細は明らかでないが、元々の祭神は1座か2座で後世に他の祭神が加えられたとする説が挙げられている。資料によると、武内宿禰が神功皇后とともに朝鮮出兵前に戦勝祈願として大山祇神をこの地に祀ったと伝わる。平群氏の祖神を祀っていたと考えるのが自然である。平群の地域は興福寺の影響下に入り、春日神が持ち込まれているようで、 当社も春日大明神とも呼ばれていた。当社の近くの三里古墳は紀ノ川流域に分布する石棚を有する古墳と同形式であること、 また椿井宮山古墳や烏土塚古墳との関連も考えられよう。平群氏と同族とされる紀氏の居住地であったようで、共に武内宿禰の末裔とされる。近世には「春日大明神」と称された。また境内には神宮寺として竜花山西宮密寺があったが、神仏分離で廃絶して社務所となっている。明治維新後、近代社格制度では村社に列している。集落の奥。尾根の頂きに近い小社。とあります。