歴史の息吹感じる小泉城跡。
小泉城跡の特徴
戦国時代に富岡氏が築城した小泉城跡は歴史を感じる場所です。
内堀りの池と土塁が残り、お城の雰囲気が堪能できます。
小泉城跡はポケモンGOのポケストップとしても人気です。
毎年訪れてます。木が減ってしまいましたが、今でも綺麗です。
昔はここに小泉城というお城があったらしいです。そのあたりの詳細は橋のそばの説明書きに書かれています。いまでは普段はただの広場、春になるとお花見スポット。ときどきじいちゃんばあちゃんがグラウンドゴルフなんかを楽しんでいます。堀のまわりの桜もきれい。大泉かるたの「む」の札の場所です。
人があまりいなく戦国時代前に富岡氏がこの場所を縄張りとし築城し小田原北条氏の傘下に戦国時代は入っていた。豊臣秀吉の小田原征伐に伴って北条氏滅亡と同じく廃城とされた。平地にお堀と水が引いてあり頑丈な城だったと思われます。コロナ禍では人があまりいなかったので、ノーマスクで散歩が出来そうだと思いました。桜の咲く季節には綺麗な城跡だと思います。
結城氏の庶流で富岡氏の祖、結城持光(富岡直光)が築城した平城です。富岡氏は北条氏に属したため、豊臣の小田原攻めに伴い、小泉城は廃城となりました。本丸周りに土塁がつくられ、さらに内堀で囲んでいます。本丸の東側に小ぶりな2の丸を設置して、それらを3の丸で囲み、その外周に土塁と外堀を設けました。3の丸の土塁と堀については一部だけしか残っていませんが、住宅地の真ん中にあることを考えれば、よく残った方だと思います。何より本丸の土塁や堀は状態よく残されています。現在は公園化されて地元の方がたくさん来られているようです。綺麗に整備されているので見学もしやすいです。無料駐車場有トイレ有。
堀や曲輪は比較的綺麗に残っているし、また公園としても、綺麗である。ただネーミングが・・・。大泉町なのに、小泉城とは・・・。デカイ町の中の小さな城・・・ってか?公園の名前は城之内公園で。
中学校脇、住宅街の中にある小ぶりなお城です。しかし、住宅地にありながら本丸の濠がしっかり残り、外濠の一部や土塁も良好な保存状態です。駐車場も整備されていて訪問しやすいところでした。内部は公園として整備され、懐かしい遊具や鳥小屋があったりドングリが尋常じゃない量落ちていたり、地域の皆さんの憩いの場となっていました。
富岡氏が15世紀に築城、秀吉が関東に侵攻してきた際に北条方にいたため廃城となっています。輪郭式で本丸の土塁と水堀のほか三の丸の堀も一部残っています。
落ち着ける公演です。お堀に大きな鯉が泳いでいました。
内堀りの池と土塁がありお城の雰囲気を残しています。春は桜がキレイです。
名前 |
小泉城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
〒370-0518 群馬県邑楽郡大泉町城之内2丁目21−11 |
HP |
https://www.town.oizumi.gunma.jp/s032/kanko/030/040/20200819133228.html |
評価 |
3.7 |
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結城合戦で敗れた結城持朝の息子の持光(後の富岡主税介直光)が、後に足利成氏から邑楽郡に所領を与えられて延徳元年(1489年)に築城した富岡城が後に小泉城と呼ばれるようになったと言われている。その後、富岡一族は古河公方や上杉謙信、後北条氏などの勢力下で活躍し、富岡氏から小泉氏が分かれる。しかし、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の関東攻めの際、家臣浅野長政らに攻められて落城し、廃城になった。なお、残っている外堀と内堀の間には「庚申」と彫られた楕円形の石柱を数十基以上見ることができるが、これは庚申信仰が盛んだった江戸時代のものと考えられている。現在では、残っている内堀・外堀ともに、堀はすべて護岸工事されている。「庚申」と彫られた楕円形の石柱が多数存在するのは、忠霊塔の西側である。内堀の東側には公園が配置されており、城之内公園と呼ばれている。また、城内には、古墳時代の古墳(城之内古墳)が移築復元されており、城跡はこの古墳を含めて「小泉城跡(富岡城跡)附、城之内古墳(復元)」の名称で大泉町指定史跡に指定されている。二重の水掘りと土塁に守られた本丸が中央に。二の丸・三の丸(中学校)があります。広く深い水掘りと高い土塁は堅固な守備であったと考えられますが、居住スペース(本丸 二の丸 三の丸)が土塁より低くなっているので、侵入を許したら最後、容易に攻め落とされてしまうのが予想されます(1590年、豊臣秀吉の小田原征伐の途中で落城)。現在は城之内公園(しろのうち)となっており、市民の憩いの場となっている。場内には古墳や太平洋戦争の慰霊碑、庚申(こうしん)といわれるお墓の様な碑も多数ある。とても綺麗は場所でとても癒されます。