自然と歴史が交わる神社。
熊野神社(東平)の特徴
ヘルシーロードへの道中に位置する静かな神社です。
ロードバイクでの訪問にもピッタリなスポットです。
東松山の自然を楽しめる隠れた癒しの場所です。
2021年4月、ロードバイクにでヘルシーロードに向かう途中にて立ち寄りました。本殿を参拝し、今回も道中の無事を祈願しました。隣は、公園になって、両脇には桜が咲いていました。
静かな場所。従軍碑を見て、少し色々と考えさせられました。
| 名前 |
熊野神社(東平) |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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東平熊野神社(ひがしだいらくまのじんじゃ)主祭神 伊弉諾命 速玉男命 事解男命合祀神 天津児屋根命 斎主命 武甕槌命 比売命 建御名方命 軻遇突智命 河菜姫命 素盞嗚命 多力雄命 稲倉魂命境内社 三峰社 諏訪社由緒平村 熊野社 村内の鎮守なり稲荷社 諏訪社 神明社 以上四社共に 覺性寺の持なり(「新編武蔵風土記稿」参照)旧別当の真言宗覚性寺蔵の古文書には、次のような伝説があります。天慶三年(940)東国で反乱を起こした平将門を追討するために平重盛と共に都を発った藤原秀郷は、上州(現群馬県)碓氷峠まで進んだころ、不思議な夢を見ました。それは、南の方にたなびく紫雲を尋ねて行くと、そこは紀州(現和歌山県)の熊野三社で、そこで一人の老翁から「自分は東海の平和を願うものである。紀州熊野三社を祀り、その神徳を頂いて戦えば、汝は朝敵を必ず滅ぼすことができ、汝の子孫は世々栄えるであろう」と告げられるというものでした。翌朝、秀郷ははるか南方に紫雲のたなびくのを見ました。奇しくもそこを尋ねて行くと、一株の松の根元から雲が湧き上がっていて、これこそ神のお告げと、秀郷は持っていた鏑矢をその松に立て、仮に熊野三社を祀りました。これが当神社の創祀で、その後の秀郷の武功は歴史に記される通りです。乱平定の後、秀郷は神恩に報いるために当神社の伽藍を建立し、以後郷人の崇敬を集めるところとなりました。平村は、中世(1030頃)に至って、千葉城主の平忠将が朝廷に背いたために源頼信に追討され、その一族が逃れてこの地にやって来て住み着き、それでこの地が平村と呼ばれたと伝えられています。戦国時代(1590頃)秀吉の命による小田原北条家討伐に伴い、松山城も落城し、近郷一帯が兵火に罹って熊野神社も焼失しました。その後十年余りして立派に再建が果たされ、江戸時代には東平村の鎮守として「風土記稿」にもその名が挙げられています。更に明治四年(1871)には村社になり、明治四十一年(1908)には字沢口の村社熊野神社(当神社は上の宮、同社は下の宮と呼ばれていました)ほか地内の七社が合祀されました。(埼玉県神社庁発行「埼玉の神社」及び覚性寺所蔵古文書「蘭若前録」参照)