縮景園で語る歴史の足跡。
縮景園 原爆被災説明板の特徴
縮景園は浅野家の別邸として造られた庭園です。
原爆被災説明板が設置されている歴史的な場所です。
広島市中区に位置し、戦争の悲劇を伝えています。
原爆被災説明板 No.18 縮景園-----説明文より-----縮景園(爆心地から約1.22~1.46キロメートル)この庭園は、1620(元和6)年、広島藩主浅野家の家老上田宗箇により藩主の別邸として設けられました。戦前は市民に「泉邸」の名称で親しまれていましたが、人類史上最初の原爆投下により、このように無残な姿となりました。被爆直後、数多くの被災者がここに避難してきましたが、治療もほとんど受けることができないまま息絶え、その遺体は園内に埋葬されました。(縮景園の惨状 1945(昭和20)年10月 松本栄一氏撮影)
| 名前 |
縮景園 原爆被災説明板 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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「原爆被災説明板」は、1945年8月6日の原子爆弾投下による園内の惨状伝えるための説明板です。この説明板には、被爆直後の縮景園の様子を写した写真と解説が掲載されています。1945年9月(被爆から約1ヶ月後)に撮影された園内の風景で、美しい大名庭園の面影はなく、清風館などの建物はすべて焼失し、樹木も枯れ果てて、唯一「跨虹橋(ここうきょう)」という石橋だけが残っている凄惨な状況が写し出されています。原爆の被爆直後、数多くの被災者がここに避難してきましたが、治療もほとんど受けることができないまま息絶え、その遺体は園内に埋葬されたということも書かれています。