清らかな空気感じる延喜式内社。
斐太神社の特徴
鮫ヶ尾城跡の帰りに訪れると、神聖な雰囲気が漂う空間が広がります。
平安時代に編纂された延喜式にも記載される由緒正しい古社です。
神社と古墳、城跡が共存する不思議な魅力のスポットです。
大国主命 積羽八重事代主命 建御名方命延喜式内 比定社 大同ニ年創建相殿の事代主命は矢代大明神と呼ばれ矢代川上流に鎮座していたが天正二年、謙信公が遷座合祀。諏訪大明神遷座合祀時期は不明なからも南葉山頂上に祠があるようです。こちらにも摂末社で雁田神社があります。寺町の神宮寺は元々この社の神宮寺であったが江戸期に移転したとある。社務所前に駐車場がありますが、斐太歴史の里の無料駐車場に停めると拝殿まで楽に行けます。鳥居横の社務所にて対応していただきました。
御朱印をいただいたらお祓い済のお米もいただいた。さすが米所。鮫ヶ尾城の入り口なので登ってみようと思ったけども、雪が多く断念。
鮫ヶ尾城跡の帰りに参拝させて頂きました。神様がいらっしゃる本殿を間近に見る事ができます。
入口の鳥居から階段を上がり拝殿が見える頃は周辺の雰囲気に『神聖な所なんだな』と思わせる空気が感じられます。本殿へ回って神社の姿を拝見。境内には「雁田神社」「稲荷神社」や小さな社が祀られて居ます。「雁田神社」へお参りに行くと「雨蛙」が足元で跳ねて居ました🐸🐸蛙のお出迎えですね🐸戻りに「稲荷神社」を参拝して社務所へ御朱印を頂きに伺いました。社務所で「雁田神社」の側に祀られて居た小さな社は何の神様を祀っているか、聞いてみれば良かった🤔
神域感のある素晴らしい神社です。車椅子の方も参拝出来る様に専用のスロープが設置されておりました。御朱印は社務所でいただく事ができます、玄関引き戸を開け声をかけると大変品の良い女性の方が対応してくれます。社務所前が参拝者の駐車場になっています。
資料によると、平安時代に編纂された「延喜式」にも記される由緒正しい古社。長い急な石段を二つ登った先に本殿があります。御朱印は宮司の奥様の書ですが、上の印は参拝者が自ら押します。貴重な体験ができます。道の駅あらいから車で10分ほど。
銀輪偵察第2報、斐田神社と斐田遺蹟。弥生時代の大規模な高地性環壕集落であり、全体で百数十個の竪穴住居と約1キロの壕が掘られており、卑弥呼の頃の倭国の大乱の軍事的緊張下の集落らしいです。斐田神社は大国主命を主祭神されており、斐田遺跡の勢力は、出雲系だと思います。ひだ、斐田という1音1漢字の当て字的地名が、古代を感じさせてくれます。
由緒ある社です。歴史的にも深く関わりのある神社。境内には他の雁田神社や稲荷神社もあります。
延長5年(927)に完成した『延喜式神名帳』に記載されてる神社です。天正2年(1574)に上杉謙信の庇護を受けて鮫ケ尾城の鬼門鎮守として現在地にやってきたといわれてます。天正7年(1579)3月24日、謙信死後の上杉家後継者争いの紛争である『御館の乱』で上杉三郎景虎(謙信の養子で北条氏康の6男)が景勝(謙信の養子で甥)に敗れて鮫ケ尾城で自害したときに同城も落城しました。この神社も兵火にかかり焼け落ちました。その後も明暦2年(1656)と明治33年(1900)に火災にあってます。祭神は大国主命・事代主命・建御名方命です。この周辺には鮫ケ尾城跡の他、観音平古墳群、天神堂古墳群等があり古代の豪族たちがこの神社を奉斎したと考えられてます。
| 名前 |
斐太神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0255-72-0998 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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斐太神社(ひだじんじゃ)。新潟県妙高市宮内。式内社(小)、旧郷社。【祭神】八千矛神 積羽八重事代主神 健御名方神(合祀)彦舅命 水波女命 日本武尊 天照大神 大山咋神 など資料によると、「斐太」と書いて「ひだ」と読むが、相殿に矢代大神を祀っているので、地元では矢代さんと呼ばれるらしい。「斐太」の語の由来は、祭神が当地に来られ、住民に田産の業を教え、国中の日高見の国と称したことから。宮内・雪森・飛田・稲荷の村々を総称して「斐太」と云ったようだ。一説には巨勢斐太臣の後裔・荒人命を祀るために「斐太」という。式内社・斐太神社に比定されている古社で、もとは神社背後の山中にあったと伝えられている。相殿の矢代大神は、矢代川上流の岡沢山に鎮座していたが、上杉謙信によって天正二年(1574)に遷座、合祀され、鮫ケ尾城の鬼門鎮護としたもの。相殿の諏訪大神は、南葉山山頂に鎮座していたといい、矢代大神、諏訪大神ともに古社地に古跡が残っているという。里宮が内川の東岸、新井市飛田字屋敷添にあり、拝殿が建つていたという。今日、耕地整理で水田となっている。北方に百両山竪穴群(雪森)。観音平古墳群(宮内)、南方に天神堂古墳群(天神堂)がある。これらの古墳を築造した豪族が神社を奉斉したのであろう。とあります。