歴史を感じる重要文化財。
浄土真宗 浄興寺の特徴
浄土真宗浄興寺派の由緒あるお寺で、歴史を感じます。
本堂は国の重要文化財であり、訪れる価値があります。
雅楽を奉納できるお寺として、文化的な体験ができます。
浄興寺は建保2年(1224)に常陸国笠間郡稲田郷(茨城県笠間市稲田)にて創建されました。弘長3年(1263)に焼失し板敷山(茨城県石岡市)に移転しました。しかし、文永2年(1265)にまた焼失し、文永4年(1267)に信濃国水内郡長沼(長野県長野市穂保。現在は浄土真宗大谷派の正覚寺のある場所)に移転しました。永禄4年(1561)の上杉謙信と武田信玄の第四次川中島合戦の際に兵火を受けて焼失し十三世住持・周円が亡くなりました。その後、水内郡小市村(長野県長野市安茂里小市)と高井郡別府(須坂市小河原)に移転した後、永禄10年(1567)に上杉謙信の招きによって春日山城下に移転しました。慶長7年(1602)に本願寺が東西に分かれると同12年(1607)に春日山城下から福島城下(上越市直江津地区)へ、同19年(1614)に高田城下へ移転しました。昭和26年(1951)に東本願寺から独立し浄土真宗浄興寺派として独立し現在に至ります。浄興寺には上杉謙信から寄進された梵鐘や五条袈裟があります。
上越市の浄興寺を訪問いたしました。親鸞聖人に関する貴重な史料として認められるものを多く所蔵し、特に親鸞聖人の御頂骨が安置されているお寺として知られています。(御本廟には、聖人の他にも覚如上人以降の本願寺歴代門主の分骨も納められているそうです)有名な由緒あるお寺で、以前からお寺を存在は知っていたのですが行く機会がありませんで、冬ではありますが事前に連絡をいたしまして訪問してみました。訪問当日は前日から雪でした。高田駅からは歩いてお寺に到着。大雪の冬の上越でお寺巡りする人はいませんと聞いていましたが、実際に来てみて理由がよくわかりました。冬の上越の雪を少し甘くみてました。一晩で建物が見えなくなるぐらい雪が降る状況を直に体験すると行くのも大変だし、お寺様側もこの時期の訪問は困られるだろうということもよくわかった。そういう中でもお寺の方は親切に対応して下さり、本堂でご本尊様を参拝させて頂きました。本堂は、新潟県内の寺院建築では、最大規模で最古の真宗本堂で国指定重要文化財。非常に厳かで幽玄な雰囲気に包まれながら、何百年にもわたる有縁の方々に脈々と受け継がれる真心による御念仏の麗しい声が聞こえてくるような不思議な感覚になります。次に、御本廟の前を通り(冬なので雪対策の為御本廟は閉じられています)、宝物殿を見学し、お寺の方からお話をして頂けまして非常に勉強になりました。このような季節に訪問したにも関わらずとても親切に対応して頂きまして有難うございました。
昨日今日と『淨興寺で縁日』というイベントがありました。色んな手作り品のお店があったり、演奏会等ありとても賑やかで皆が楽しんでいました。秋にまた有るそうです、今から楽しみです。
立派な建物のお寺です。ジャズライブや催し物などのイベントも行われます。親鸞聖人の御頂骨を安置する本廟もあり、手を合わさせていただきました。
寺町を散歩していた途中で立ち寄らせていただきました。静岡市清水区から50年振りに旧高田市を訪れてその静かさに心を洗われました。朝の散歩でしたが、山門をくぐり本堂に進むと雨上がりの清清しい空気の中で、春の柔らかな陽射しがちょうど私の背中に当たって気持ちも温かくなりました。ごみ一つない境内を私一人が歩いています、誰もが優しい気持ちでこの浄興寺を訪れてください という雰囲気を醸し出しているお寺でした。
参拝させていただきました。ありがとうございました。親鸞聖人ゆかりのお寺。南無阿弥陀仏。
歴史を感じる素晴らしい本堂でした。
ペットを焼却する異臭が漂うことがあります。副業でやっているようですが、お寺がねえ!お釈迦様が嘆くんじゃない?と驚いた覚えがあります。
本堂は国の重要文化財です。本堂のとなりに親鸞聖人御廟と拝堂があります。
名前 |
浄土真宗 浄興寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
025-524-5970 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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浄土真宗浄興寺派のお寺。高田寺町と呼ばれるこのあたりでもひときわ規模の大きな寺院です。参道や山門にも風情がありますが、江戸時代初期創建で国の重要文化財に指定されている本堂は圧巻。年月を経たそのたたずまいは、寺の長い歴史を実感させてくれます。境内にはほかに多数の寺院が並んでいますが、これらはいわゆる塔頭寺院ではなく、それぞれ独立した浄興寺派のお寺だとのこと。最盛期に比べれば規模は縮小しているのでしょうが、それでも圧倒的な存在感を感じます。