埋もれた歴史、天齢延寿廂主を探訪!
後藤寿庵の碑の特徴
天齢延寿廂主の不明な石碑が存在する史跡です。
地元郷土史家による発掘で歴史が蘇った場所です。
伊達政宗に仕えたキリシタン武士の足跡が残っています。
「天齢延寿廂主」よくわからない不明な石碑が、地元郷土史家により、埋もれていた歴史が日の当たる場所にでてこれた、という場所である。「てんれいえんずしょうしゅ」で読みはいいのだろうか、私にはまず読み方が不明である。❶【参考 郷土資料辞典 1985年】後藤寿庵の碑奥州キリシタンの中心人物として著名な後藤寿庵(じゅあん)は、伊達政宗にかわいがられた武将であるが、異教徒禁令に従わなかったことがあり、弾圧を受けてため仙台から行方をくらました。彼は南部浪人と称して、この地に潜伏したが、結局捕まってしまい斬首の刑を受けて殉教してしまった。口碑では、遺体を塩漬けにして埋葬したといわれているが、近年までその 最後の地 がわからずに過されてきた。しかし、史家によって「天齢延寿廂主」と刻まれた供養碑がみつけだされ、寿庵の供養碑として考察された、という。キリスト教徒にとっては聖地の一つであり、巡礼者が跡をたたず訪れてきている とある。_____________________❷【参考 日本刑事史跡散歩 1985年】登米郡(とめ郡)東和町西上沢に「天齢延寿廂主」と刻まれた古い石碑がある。最近まで何を意味する碑であるか不明であったが、地元郷士歴家によって考証されたところによると、東北キリシタンの中心人物の後藤寿庵が処刑された場所、聖地を示すものであると判明した、という。後藤寿庵は伊達政宗の家臣として信任が厚かった他、北上川とその支流に至る数十か町村をうるおす灌漑用運河を築いて、後世に「寿庵堰」と呼ばれるほどの功績を残した人物であった。仙台藩は支倉 常長(はせくら つねなが)をローマ・スペインに派遣するなど、キリスト教に寛容であったが、幕府によるキリスト教の禁止令がでるとそうもいかず、キリスト教に対して方針を改めたという。後藤寿庵は弾圧から逃げるために、行方をくらましていたが、最後には西上沢の地に潜伏していて捕らえられて、此処で斬首されている。寿庵の遺体は塩漬けにして埋葬されたという。
探すのに苦労しました。静かないいところです。
| 名前 |
後藤寿庵の碑 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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寿庵は、伊達政宗に仕えたキリシタン武士で水沢の福原に1,200石を領していた。元和9年(1623)キリシタン弾圧に耐え切れず、その地を捨て南部領に逃れた。その後行方は不明だったが、寛永初めに現在の北上沢に隠れ住んでいたが、やがて西上沢に移り今の後藤家を立てた人と同家に伝わってきた。何年後か訴人があり、役人によって家の前のこの場所において成敗になったと秘かに同家に語り継がれてきた。当然墓は無く無名の石が墓じるしとして立てられていたが、今は後藤家旧墓地に移され供養されている。大きな「寿庵の碑」は昭和27年に建立された供養碑である。