日本のモン・サン・ミシェル、岩井山城。
勧農城跡の特徴
規模は小さいが楽しめる冒険スポットです。
足利長尾氏が本城を移した歴史を感じられます。
日本のモン・サン・ミシェルとも称される岩井山城です。
⛩️神社の裏の頂上あたりは色々と冒険できそうな小山で楽しかったです。
別名が岩井山城の表示がありますが、私とすると勧農城ですね。足利長尾氏の居住の城跡のため立地はいいです。しかし足利城に移ったので、守りには問題があったのですかね。逃げるところもなさそうだし、囲まれたら持久戦ですね。
立地から城として申し分のない場所です。ただし、その立地から縄張りは技巧的な部分は少ない城跡です。もともと渡良瀬川の水量により防御能力に差がでるところですから渇水期は裸城同然と言わざるをえません。安定しない場所よりも山城がという流れも無理のないところといえます。
足利長尾氏が足利城を移るまでの本城。縄張り図を描きに行きました。
昔散歩で時々歩いたところです。草木が繁茂し、いかにも中世の砦跡らしい雰囲気でした。北側の橋の建設工事にともない、縄文時代の大きな集落が徹底的に破壊されました。工事現場に散乱する膨大な土器(主体は堀之内1・2式、前期以降の各式あり)や石器(巨大な安山岩製の石皿は特筆)を必死でかき集めた記憶があります(現場の労務者に酷く怒られました)。この頃、市内の古墳もたくさん壊され、これでいいのかなーと嘆いたものです。山辺の切り通しに群集墳(たぶん6世紀頃)の石室が縦切りにされており、いろいろな金属製品(直刀、鉄鏃、金環など)が露出していました。房州に引っ越してからご無沙汰ですが、今はどうなってるのかな。
日本のモン・サン・ミシェルといわれる岩井山城です(嘘)。両崖山城に移るまで足利長尾家がいた結構重要なお城です。
土手下のテニスコート脇に車を止めました。土手を登ったところに岩井山城跡の案内板があり、その右に階段があります。位置は城の北側です。階段を上り左に折れると神社の境内で東の郭であり、その西側上部が本郭になります。境内を抜けて南側に進むと古いお堂があり、本郭方面の通路に合流します。本郭は狭いものの、その直ぐ南側の郭(二の郭?)は結構広さがあります。色々なところに郭があり、お墓になっています。周囲を回ると南から西は川に面しています。北側から離れて撮ると小山になっています。中世の城のせいか土塁や切り岸はあっても、堀切は少ない印象です。もう少し整備をして貰えると良い城跡なのですが。
地図を見るとここだけ渡良瀬川が大きく蛇行しています。見にいってみたらこの城跡。なんか、ごつごつした岩でできているため川が削り残したらしいです。びっくりです。このあたり、カスリーン台風で氾濫して被害が出た土地とのこと。この城がせき止めたのかな。再発防止のため、城の北側(堤防の内側で、野球場やプールのあるあたり)も水路なったらしいです。城の下流側には民家もあります。
地図を見るとここだけ渡良瀬川が大きく蛇行しています。見にいってみたらこの城跡。なんか、ごつごつした岩でできているため川が削り残したらしいです。びっくりです。このあたり、カスリーン台風で氾濫して被害が出た土地とのこと。この城がせき止めたのかな。再発防止のため、城の北側も水路なったらしいです。城の下流側には民家もあります。
名前 |
勧農城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0284-20-2230 |
住所 |
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評価 |
3.2 |
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サクッと登城、規模は小さい。