新田義貞公の供養塔、金龍寺で心ゆくまで。
金龍寺の特徴
ケヤキの巨木が迎える、美しい境内の風景です。
上州太田七福神で毘沙門天を祭る寺院です。
新田義貞の供養塔があり、歴史を感じる場所です。
大光院(呑龍様)へお参りした際、近くにこちらのお寺があることを知り立ち寄りました。何の予備知識も無く来てしまったのですが、由緒書を見て、こちらが新田義貞公ゆかりのお寺と知り驚きました。新田義貞=由比ヶ浜というイメージが強いのですが、確かに領地はこちらですね。徳川家の系譜をたどると新田氏に連なるとされているので、徳川家の家臣である館林城主、 榊原康政が再興を図ったのもうなずけます。お堂には「新田院」の扁額が、屋根には徳川家の三ツ葉葵の紋と新田岩松家の家紋、新田桐が描かれていました。お堂へ入ってお参りさせて頂きました。欄間の彫刻が見事です。こちらには「大田山」の扁額が掲げられていました。下記は七福神の後ろ側にあった由緒書の内容です。金龍寺 太田市金山町40-1寺伝金龍寺は、新田義貞公ゆかりの禅林で元享元年(1321)義貞公が国家動乱の鎮護の念により開かれた、精神作興の道場です。延元三年(1338) 越前国藤島で戦死された義貞公の菩提を弔うため、応永五年(1398)新田岩松系の岩松三河守源滿純が、諸堂を建立し開基しました。その後、応永二十四年(1417)金山城主、横瀬貞氏(義貞公の三男義宗の子)が越前国足羽(現在の福井県丸岡町)より祖父義貞公の御遺骨をこの地に移し、廟所と定め木像を安置しましたが天正十八年(1590)最後の金山城主、横瀬信濃守国繁は、常陸国牛久(現在の茨城県牛久町、その後寺院を竜ヶ崎市にうつす)に移封され、寺も寺僧・寺宝ともに移り、ここには建物、木像、墓のみが残され荒廃しました。その後館林城主、 榊原康政は、これを惜しみ、田畑八町余りを寄進し寺の再興を図り、以後寺運栄えて今日に至っております。本堂裏手にある義貞公の供養塔、および由良氏五輪塔九基は昭和四十九年に太田市重要文化財に指定されております。 「上州太田七福神」の毘沙門天が奉安され、「秋の七草寺」では桔梗(ききょう) 寺となっております。七福神について毘沙門天は古くからインドの神として祀られ、多聞天とも称されています。インドでは北方を守護し、国土守護の武神です。なぜ武骨な毘沙門天が七福神に入っているのかといいますと右手に持つ宝塔が限りない財宝を授与するということから福の神となっています。毘沙門天は人々に勇気を与える神として信仰があります。七草寺(桔梗)について花は青紫色で正五角形を思わせる整った形は、” 端正”といった言葉がよくあてはまります。はっきりとした花の色、鐘形をした広い花弁は、秋の陽性なイメージを代表しています。それゆえ、ぬけるような秋の空、強い陽射しがキキョウにはよく似合っています。太田市観光協会。
ここ金龍寺は、由良氏が築いた新田義貞公を祀った由良氏菩提寺です。由良氏は、いくつかの家系争いの末新田氏の末裔として残った人物です。新田氏といえば、徳川家康も新田の血筋で清和源氏の流れを汲んでいると言われていますので、太田の新田の荘やここ金山周辺は、大変重要な場所になりますね。ただ戦国の時代は新田の血筋にあたる岩松氏も北条、上杉、武田の錚々たる武将に囲まれた重要拠点を守り抜いた家系であります。そんな場所に金龍寺もありますよ✨️
大光院の隣『金龍寺』です。金龍寺所在地:群馬県太田市金山町40-1金山城主横瀬氏の菩提寺。歴代金山城主の五輪塔や新田義貞の供養塔があり、市の重要文化財に指定されています。以下、太田市HPより大田山金龍寺は曹洞宗の寺で、寺伝によると、寺名は新田義貞の法名「金龍寺殿眞山良悟大禅定門」にちなんだものです。創建は応永24年(1417)に横瀬貞氏がその祖とした新田義貞を追善供養するため開基したとされています。近年の研究によれば、金山城の重臣であった横瀬氏が文明年間(1469~1486)に創建したとする説が有力です。その後、金龍寺は下剋上により新田(岩松)氏を退け金山城の実質的な城主となった横瀬氏(のち由良氏)一族の菩提寺として興隆しました。しかし、天正18年(1590)、金山城の廃城に伴ない、由良氏は常陸(茨城県)牛久に移封され、金龍寺も寺僧とともに同地へ移りました。現在の金龍寺は慶長年間(1596~1615)に、この地を領した館林城主榊原氏により再興されたものです。由良氏五輪塔は9基あり、横瀬国繁から由良成繁に至る歴代の金山城主とその一族を弔うために造立されたものと考えられています。安山岩製で、それぞれに紀年銘・法名・五大が刻まれています。新田義貞公供養塔は五輪塔の奥、最上段にあります。寛永14年(1637)、新田義貞三百回忌法要に際し造立されたものです。銘の入った石英斑岩製の基礎部の上に、安山岩製の多層塔を重ねたもので、総高は246cmです。
金龍寺(きんりゅうじ)は、曹洞宗のお寺です。応永24年(1417)、横瀬貞氏が開基しました。なお横瀬氏(後に由良氏)は新田義貞の末裔と称しています。横瀬氏が金山城城主だった時期、当寺は横瀬氏の菩提寺となっている。天正18年(1590)、由良氏(横瀬氏)の牛久転封により、寺は一緒移転しました。現在、茨城県龍ケ崎市に金龍寺として現存しています。
お寺の北に位置する日本百名城の一つ金山城主横瀬氏の菩提寺で毘沙門天様をおまつりされています歴代金山城主の五輪塔や、太平記のエース格の一人、太田市出身の新田義貞公の供養塔もこちらにありますそもそもお寺の名前は新田義貞の法名「金龍寺殿眞山良悟大禅定門」にちなんだものらしいです11月下旬で紅葉も色づき始めといったところでしたがその分、静かにゆっくりとお参りできました。
盛り沢山の金龍寺 毘沙門天参拝で立ち寄る 新田義貞公墓もあった 福井からこちらへ こちらから牛久、竜ヶ崎へと移した様だ 解説にある 本堂に安置されている御本尊は釈迦如来 南無釈迦牟尼仏 その左隣に毘沙門天が安置されていた 場所が分からずインターフォン鳴らし確認する 出来れば上がれて間近で拝めれば尚更良かった またにしよう 六地蔵や大木、降りた先の駐車場付近にはダ枳尼眞天 ( 豊川稲荷 ) が祀られていた当山はかなり広く感じた 参拝者ないしハイキングの方が多々いた また参拝したくなるお寺さんだ 庫裡も新しく趣があった。
お墓参りに来ました。広い駐車場もあり金山ハイキングの方もいます。お手洗いもあり清潔です。階段は急で落ち葉で滑るかもしれません。気をつけましょう。
いきなりケヤキの巨木が👁️に入るので、暫く足を止めて威容をじっくり眺め、石段を70段ばかり上って境内へ…。い並ならんでいる種々の大木などを眺め終えたら、本堂裏にある新田義貞公供養塔に詣でる。これがごくごく定番のコース。
上州太田七福神では毘沙門天を祭っています。金龍寺を訪れるならば秋がおすすめです。本堂周辺の素晴らしい紅葉を堪能することができます。大田山義貞院金龍寺は群馬県太田市金山町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。金龍寺の創建は元享元年(1321)、新田義貞が天真自性和尚を招いて開山し、義貞の戒名である「金龍寺殿眞山良悟大禅定門」から金龍寺と号したのが始まりと伝えられています。御朱印頂けます。
| 名前 |
金龍寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0276-22-4920 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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開基は新田義貞の三男義宗の子を自称した岩松満純。金山城を築城した岩松家純の父である。横瀬貞氏が新田義貞の遺骨を埋葬して以来横瀬氏・由良氏の菩提寺となった。本堂裏手には由良氏代々の墓所あり。親類の長尾憲長も埋葬されている。由良氏が牛久藩に転封されたのでそちらにも同名の寺院あり。墓所前の道は金山山頂に通じる最短ルートなのでここから登山する人が多い。