新田市の台源氏館跡、歴史の息吹。
新田義貞誕生伝説地の特徴
新田市累代の墓があり、歴史を感じられます。
寂しい松の木のある閑静な住宅地に位置しています。
小さい頃から慣れ親しんだ場所の魅力を味わえます。
新田一族の館跡と言われている史跡のうちのひとつ『台源氏館跡』です。新田義貞公生誕地という伝承がある場所でもあります。義貞の出生地には、新田郡宝泉村由良(太田市宝泉地区):『新田義貞正伝』より新田郡生品村反町館(太田市新田地区):『新田氏根本資料』「筑後佐田・新田氏系図」より碓氷郡里見郷(高崎市榛名地区):『新田正伝記』「里見氏系譜」よりの3説があります。しかし、いずれも特定できる資料とは言えず定説には至っていません。先日読了の『新田次郎』氏による『新田義貞』では、碓氷郡里見郷説を採用していました。新田義貞卿誕生地之碑の石碑がある台源氏館跡は新田政義が由良郷台に館を構えた場所で、村人が台源氏と呼んだことがその名の由来のようです。新田政義から義貞まで5代に渡って居住したとも言われています。政義が剃髪後に建立した円福寺から400mほどの距離でもあり、政義の屋敷だったのは確実としても、隠居した政義の跡を継いだ嫡子 朝氏がここに住んだと確認できる資料は無いそうです。ちなみに、新田宗家の系譜は政義-政氏-基氏-朝氏-義貞と続いています。
台源氏と呼ばれた新田氏4代目・政義公の館跡。足利氏と先祖をひとつにし、共に幕府を倒すも、やがて敵対し、後醍醐天皇に仕える有力武将として、各地を転戦して血みどろの争いを繰り返し、ついに戦場の露と消えた新田義貞公…そのいくつか伝えられている生誕地のひとつ。実弟の脇屋公もここで生まれている。ふたりとも足利氏に追い付け、追い越せの一族の期待を背負って生まれ、そして期待を現実にしようと、力の続く限り奮闘したのかも知れない…。
新田義貞に誕生の地碑があります。住宅地のなかです。
松の木が伐られて寂しい。
閑静な住宅地にあります。
歴史を感じる場所ですが近くに住宅が出来て風情が失なわれつつある。
小さい頃から親しんだ場所。まだ確証はないが、義貞公がこの地に生誕したと想像すると、ロマンを感じる。
新田市累代の墓があります。
2018/12/09 訪問。
| 名前 |
新田義貞誕生伝説地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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