阿左美沼畔、春の河津桜。
浅海八幡宮の特徴
書置の御朱印がすぐ手に入るので便利です。
春に見られる河津桜が特に美しい神社です。
神功皇后にゆかりの深い歴史ある神社です。
閑静でゆっくりした空間でした!御朱印は書き置きが置いてあります‼️300円円。
目立たなく小さい社で参拝者も少ないのですが歴史と役割りは行くたびにかんじます。
勧請年月は不詳、京都府の石清水八幡宮の分霊を祀ったとされる。
阿左美沼の畔にある、あざみ神社。御朱印は書き置きで境内、賽銭箱の右に絵馬と、一緒にあります。初穂料は袋に入れて賽銭箱へ。¥300
春には河津桜がキレイです。
書置の御朱印が用意されています。入口がわかりずらいですね。
浅海八幡宮(あさみはちまんぐう)御祭神 譽田別尊(応神天皇) 比売大神 息長帯比売命(神功皇后)由緒 勧請年月不詳京都岩清水の八幡宮より分霊を祭ると云う 昭和二十八年八月 社殿改築御神徳応神天皇は神功皇后の御子にあたり古代にあって大陸交渉に伴い大陸文化を我が国に輸入し日本の文化の興隆をはかられた。以来、家運隆昌、武運長久、子育守護の神、御願い事のかなう神として広く信仰を得ている。(神社入口にある案内板より)御由緒 勧請年月不詳新田郡神社概誌によれば当神社境内は、もと上野國神名前帳に記載の従五位上阿波明神の鎮座地と伝えられ、すこぶる景勝の地であるので仁安(1169-1171)年中に新田義重卿が八幡宮を勧請し奥の宮と称し神田を寄進した。以来、新田家の崇敬厚く、元弘三年(1333)新田義貞公義兵を起こし笠懸野に陣するや一族の金谷経氏を遣わし戦勝を祈願した。慶應(1865-1868)年中、前橋城主松平大和守幣帛を献上した。大正七年(1918)十月付近の神社七社を合祀した。御社殿現在の本殿は建造の様式から十九世紀中頃のものと見られる。社殿、幣殿、本殿上屋は昭和二十八年に改築。(境内案内板より)神社裏手に、何だか ( ゚Д゚ ) こんな感じの石碑がありました。近づいてみたら庚申塔でした。
阿左美沼の南側に公園がある(浅海八幡宮の東側、沼の南東側端)。松の根方に芭蕉句碑が建っている。 名月や池をめくりて夜もすから 〔阿左美沼〕を池に見立てて選ばれた句と思われる。沼の向こうに〔赤城山〕が見える。笠懸町の民家にも芭蕉句碑があり、 秋風や筧の来たりこなんたり 以前桐生市錦町にあった句碑。
| 名前 |
浅海八幡宮 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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歴史・沿革当社の勧請年月不詳です。御祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと:応神天皇)、比売大神(ひめのおおかみ)、息長帯比売神(おきながたらしひめのみこと:神功皇后)を祭る。こと主祭神の誉田別命(応神天皇)は、神功皇后の御子にあたり古代にあって大陸交渉に伴い大陸文化を我が国に輸入し日本の文化の興隆をはかられた。以来、家運隆昌・武運長久・子育守護の神、願いのかなう神として、御神徳を慕われている。新田郡神社概誌によれば当神社境内は、もと上野國神名前帳に記載の従五位上阿波明神の鎮座地と伝えられ、すこぶる景勝の地であるので平安時代末期の仁安(1169-1171)年中に新田義重卿が八幡宮を勧請し奥の宮と称し神田を寄進した。以来、新田家の崇敬厚く、鎌倉時代末期の元弘三年(1333年)新田義貞公義兵を起こし笠懸野に陣するや一族の金谷経氏を遣わし戦勝を祈願した。江戸時代末期の慶應(1865-1868)年中、前橋城主松平大和守幣帛を献上しました。また、大正七年(1918年)十月には付近の神社七社を合祀しました。現在の本殿は建造の様式から十九世紀中頃のものと見られる。社殿、幣殿、本殿上屋は昭和二十八年(1953年)に改築されました。主な祭日は、歳旦祭一月一日、節分祭二月三日、春季例祭四月一五日、秋季例祭十月一七日となります。(浅海八幡宮参拝の栞、境内案内板より)