喜光寺の隣、静かな陵墓へ。
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
| 名前 |
喜光寺内 一乗院宮墓地 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
2.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
喜光寺にくっついている陵墓です。喜光寺境内ですので、喜光寺の拝観時間(9:00~16:00)内に訪れましょう。かく言う私は16時半ぐらいに訪れたので門前払いされました。近くに歩道橋があるのでそこから一応見ることはできます。追記:喜光寺の拝観時間内に行きましたが参道が封鎖されていました。なので結局入れませんでした。ここからは一乗院墓地に葬られた皇族について。尊常親王、尊誠親王、尊賞親王、尊映親王の4人です。尊常親王:父は伏見宮19代の貞敬親王、母は一条輝子(左大臣一条輝良の娘)文政元年(1818)誕生生まれてすぐ、光格天皇の養子になる。文政5年(1822)一乗院門跡だった尊誠法親王の後継者に選ばれた。天保3年(1832)親王宣下の後出家天保7年(1836)薨去。享年19尊誠親王:尊常法親王と兄弟なので父母は同じ(はず)文化3年(1806)誕生文化5年(1808)光格天皇の意向で一乗院の門跡となることが決定。翌年光格天皇の猶子となる文化13年(1816)親王宣下され、翌年出家文政5年(1822)薨去。享年17尊賞親王:父は霊元天皇、母は藤式部(霊元後宮)元禄12年(1700)誕生宝永6年(1709)出家し、尊昭と称する享保2年(1717)興福寺が火災に遭い、再建に奔走した享保19年(1734)尊賞に改名延享3年(1746)薨去。享年48尊映親王:父は京極宮(桂宮)8代の家仁親王、母は谷野(家女房)寛延元年(1748)誕生宝暦9年(1759)桃園天皇の猶子となり親王宣下、翌年一乗院にて出家明和6年(1769)興福寺の別当になる寛政5年(1793)病のため辞職同年末(西暦では1794年)薨去。享年45