本庄宿の田村本陣門で歴史を感じる。
田村本陣の門の特徴
移設された保存状態の良い門は貴重な文化財です。
公武合体政策に関わる皇女和宮の通過した歴史有る門です。
本庄宿北本陣の正門で地元の歴史を感じられます。
田村本陣は本庄宿の北本陣と呼ばれていました。寛永19年(1642)より記録が残されており、同家の古さが偲ばれます。市の文化財に指定されており、現在、門が旧本庄警察署の前に移築されています。あるのは門のみなので寂しい感じですね。門の裏手に旧本庄警察署の建物があるので併せて見学しましょう。
田村本陣の門は元は市内の中山道に面してあった門で、この地に移築しました。
歴史ある門です。
本庄宿の本陣にあった門を移設したもののようです。門だけしかないのでちょっと寂しいですね。ちなみに本庄宿は、中山道の宿場町で江戸から数えて10番目の宿場町だったそうです。しかも当時、中山道で最大の宿場町であり、最大時の、天保14年になると1212軒あったとのことでありますから、かなり大きな宿場だったようです。田村本陣はその中でも最初の本陣で、北本陣と言い、現在の中央1丁目6番付近にあったそうです。中山道よりの入口は長谷見酒店付近で、幅約11mの専用通路があり、その奥に本陣門が置かれたようです。現在、その名残をとどめるものは現地にはないですが、この門だけが移設されて現在地にあるようです。敷地は約2323m2、建坪約743m2と記録されているようですので、相当大きなやどだったようですね。
町の片隅に門がぽつんとあります。もう少し保護しないで大丈夫なのかと心配です。
移築された物とはいえ保存状態も良く貴重な文化財だと思います。
旧本庄警察署の前にありました。田村本陣は本庄宿の北本陣と呼ばれていました。1642年(寛永19年)からの記録が残されており、歴史を感じることができます。
本庄宿本宿本陣から移設された貴重な門です。皇女和宮もくぐったそうです。
公武合体政策によって皇女和宮が江戸に下るときに、この本陣の門をくぐったといわれる門というだけです。
| 名前 |
田村本陣の門 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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本陣とは、宿場において大名や幕府役人などが休憩や宿泊の際に使用した施設で、本庄宿には、「北本陣」と呼ばれた田村本陣と、「南本陣」と呼ばれた内田本陣の2つの本陣があったそうです。門右側の石碑には、皇女和宮がこの門をくぐったと書かれていますが、本庄宿の史料には、和宮以外にも享保 16 年(1731) の比宮 、寛延2年(1749)の五十宮、天保2年(1831)の有君、嘉永2年(1849)の寿明君が田村本陣で休息や宿泊をしたそうです。和宮は、文久元年10月20日に京都を出発し、11月11日に田村本陣に宿泊、翌日には次の宿泊地の熊谷宿へ向け出発したそうです。しかし、和宮一行はあまりに人数が多く、一日では本庄宿を通過することが出来ず、前日や翌日にも行列の一部が本庄宿で宿泊したそうです。 それまでの準備も当日の対応も、さぞかし大変だったのでしょうね。