最北端の角塚古墳、歴史に触れる旅。
角塚古墳の特徴
奥州市胆沢にある前方後円墳は非常に有名です。
国道397号線沿いに位置する小さな古墳です。
こじんまりとした形状で歴史を感じられます。
2026年5月30日岩手県奥州市の角塚古墳は、日本最北端の前方後円墳として国の史跡に指定されている。後円部が国道397号線に接し、その反対側に前方部があった。墳丘は草で覆われ、後円部にも前方部にも木が生えていた。形状は分かり辛かったが、後円部が2段になっているのは分かった。墳丘の上から、西の奥羽山脈、東の北上山地の山々が見渡せた。古墳は奥羽山脈から流れ出る胆沢川が形成した胆沢扇状地にある。五世紀~六世紀はじめに造られたと推定されている。前方部から馬形埴輪の一部が発掘されている。その作り方から5世紀の第3四半期(450~475年)頃のものとの指摘がある。この頃、倭の五王が中国の南朝に遣使している。最後の倭王武は、478年に遣使した際の上表文で、広い地域を平らげた自らの武勇を誇示している。しかし前方後円墳が造られた後、中央とこの地域を含めた東北の関係が恒久的に安定したわけではなかった。角塚古墳が造られてから約300年後、朝廷と東北の蝦夷の間で「38年戦争」と呼ばれる大規模な戦いが起こった。奈良時代の宝亀5年(774年)から平安時代初期の弘仁4年(811年)まで続いた。この間の延暦21年(802年)、角塚古墳と同じ胆沢扇状地に鎮守府の胆沢城が築かれた。古墳時代から平安時代にかけて、この辺りは異なる文化圏が接する境界だったらしい。
角塚古墳(つのづかこふん)は1500年前の5世紀末から6世紀にかけて造られたもので、岩手県では唯一、そして日本最北端の前方後円墳として昭和60年3月に国指定史跡になりました。塚の頂上には後世に植えられたという一本杉が立っています。墳丘長43〜45m、墳丘の高さ⒋3mという大きさですが、実際に見てみると、その数字よりも大きく見えます。古墳にはいろいろな形があるそうですが、最も注目されるのが前方後円墳だそうです。それは前方後円墳がその国の王とヤマトの王様とが、密接な関係をもっていることを示すものだからとのことです。東北地方でも福島、宮城、山形の各県ではかなりの数が見つかっているとのことですが、この角塚古墳を例外として、岩手、秋田、青森では一基も発見されていないそうです。そしてこの角塚古墳に埋葬された王が誰なのかもまだわかってないそうです。ここ胆沢で誕生した地元出身の王(もしかしたらアテルイ?)なのか、それとも別の土地から来てこの地を支配した王なのか、いずれにしてもかなりの権力者だったことは確かなようです。また伝説として、高山掃部という長者の妻が大蛇に変身し、農民を苦しめていたところを生け贄として松浦の国から来た小夜姫がお経の力で退治し、その角を埋めたのがこの古墳だと言われているそうです。なお、車で来た場合は角塚古墳の道路向かいに角塚古墳公園があり、そこの駐車場を利用できます。
小学校の校外学習で訪問させて頂きました。道路沿いに面して居る為に、とても見易い造りに成って居るのが特徴だと思いました。
日本最北端の前方後円墳。前方部は削れて円墳に見えてしまうけど、よく見ると前方後円墳です。いにしえの大和朝廷と蝦夷の国との境だったのでしょう。色々と想像をかきたてられるます。
古墳は畿内に巨大なものが多数あり、歴史の教科書にも大王クラスが造営した云々載っておりますが、奥州市のこれはこじんまりとしていますが、最北端の前方後円墳ということでその方面ではかなり有名です。史跡となっており道路をはさんで向かい側に公園と駐車場もありますので、車で来て古代東北にしばし思いを馳せるのもいいかも。古代に関心があるなら、奥州市埋蔵文化財調査センターもセットで見学がオススメ。
奥州市胆沢の国道397号線沿いにある前方後円墳(方墳(四角い古墳)と円墳(円型の古墳)が組み合わさった形式)です。周囲からはお堀の跡や数種類の埴輪等が出土されています。
| 名前 |
角塚古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
〒023-0401 岩手県奥州市胆沢南都田塚田 角塚公園 前 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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道路を挟んだところにある公園はてに車を停めることができます。が、私が行ったときは草がボウボウで虫がすごかった。見学のために路駐するわけにはいかないので駐車しましたが、きちんと整備されれば良い公園だと思いました。古墳自体ももっと説明書きとかあれば良いと思いました。