胸騒ぎする八幡宮の神秘。
八幡宮の特徴
鎮守の森の大きさに圧倒される神秘的な場所です。
胸騒ぎを覚えるほどの大物がひそむ予感がします。
お正月には特に訪れたいと感じる魅力的な神社です。
歩いて向かいながら、鎮守の森の大きさ、高さに、大物がひそんでいる予感がして、胸騒ぎがしきりにする。図星だった。広い境内の至るところに、無造作にムク、黒松などの大木、巨木が聳える光景に思わずニヤリ…。貪欲に走り回る視線を抑えるのに一苦労…。社殿の裏の威風堂々としたクヌギに、何はさておき敬服…。根元に安置された石祠や丁寧に玉砂利が敷かれているのを見ても、特別に扱われている「樹」であることが、一目瞭然。郊外とは言え、曲がりなりにも市街地に、多数の巨木を擁する神社が残っていたとは驚き…。
敷地はそこそこあるんですけど、まぁどこにでもある八幡宮って感じですね💦
中に入って見ることができました。素晴らしかったです!でも普段は入れません。
お正月には行きます位です。
南橘村大字北代田字八幡鎮座 八幡宮御祭神 誉田別命境内末社琴平宮(大物主命) 秋葉神社(火産霊命) 菅原神社(菅原道真公) 神明宮(大日孁命) 市杵島神社(市杵島姫命) 罔象女神社(罔象女神) 八坂神社(素盞嗚尊) 稲荷神社(豊受姫命・大宮能女命・猿田彦命)由緒この神社の由緒は詳かでないですが、伝説によれば、平安時代の末、後三年の役(1083~1087)に清原氏を討って大勝した源義家が、守護神たる八幡神を京都の石清水から勧請して祀ったものであると伝えられています。(「南橘村誌」参照)当八幡宮の御祭神は、誉田別尊応神天皇です。「武神」で護国の神として祀られました。年代は御手洗の石碑によると、享保九年(1724)と刻まれています。現在の様な社殿の築造は、凡そ八十年後の享和二年(1812)です。以来北代田の氏神として敬われてきました。時代の変遷と共に邑を天変地異から護り、五穀豊穣と弥栄を祈願する神として祀られています。(「境内案内板」参照)八幡宮じげん堂の由緒八幡様は武神、特に源氏と関係の深い神です。八幡様は各地に多く祀られていますが、北代田の八幡宮にも古い伝説が残っています。平安時代の末期、奥州征伐に成功して朝廷に勢力を得た源氏の名将八幡太郎義家が、後三年の役(1083~1087)に清原氏と戦って大勝の後各国々に八幡を勧請し、当国では本社がそれに当たるといわれています。その後平氏が盛んになるに及んで源氏は四方に散じ、頼朝、義経の兄弟も伊豆、奥州と離れて機をうかがっていました。兄弟の母常磐御前が今の荒牧に居た時に八幡宮の由緒を聞かれ、祖先の武勇にあやかり源氏再興の祈願をこめた処、果せる哉、頼朝が伊豆国に於て、北条時政の援助を得て源家再興の旗を挙げ、続いて義経も奥羽より戦に参加して之と協力し、遂に天下を平定しました。その後、大願成就の礼拝の際、御鎧と金の鰐口とを献納したといいます。後に神仏分離の時に寺に移されましたが盗難に遭い、現在では皆無となってしまいました。又一説に常磐御前が義経を尋ねて奥羽へ行く折に、北代田のあるお堂で衣を着替えて八幡宮に参拝し、源家興隆を祈願されたともいわれています。現在は衣の着替堂を訛ってじげん堂と呼んでいます。(「拝殿由緒書」参照)
| 名前 |
八幡宮 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
027-263-2393 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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町の真ん中に南方面を向いて静かに鎮座しています。全て最高です。