真田昌幸ゆかりの護神、戸鹿野八幡宮。
戸鹿野八幡宮の特徴
立地がすばらしく、歴史を感じる神社です。
真田昌幸ゆかりの神社として有名です。
御祭神・誉田別命を祀る貴重な場所です。
戦国中期に沼田氏12代目で、初代沼田城主の沼田万鬼斉顕泰公が城の守護神として、後閑八幡宮を勧請したもの。利根川と片品川の合流点あたりの沼田河岸段丘のふもとのややこしい場所に鎮座。鳥居はないが南側の50段ほどの急な石段の上に境内がある。拝殿は向拝なしの骨っぽい印象の入母屋造りで、本殿は江戸初期に造立と伝わる朱塗りの三間社流れ造り…。西側の急な坂道に面して、境内に通ずる鳥居がある。本殿に花頭窓が付き、本殿のすぐそばに石造地蔵菩薩が安置され、ちょっとお寺っぽい石造物が並んでいたりするのは、かっての神仏習合の名残なのだろうか。カヤの大木がご神木になっている。市指定史跡で、南側にある華蔵院と言う寺院が別当寺だったと思われる。案内板🅿️あり。2026/4/28
沼田市指定史跡以下、沼田市教育委員会が設置した説明板より------------------------------戸鹿野八幡宮は、沼田氏十二代で最初に沼田城を築城した沼田顕泰が享禄三年(一五三〇)八月十五日に後関八幡宮を迎えて現在地に祀り城の守護神としたのが始まりとされている。以降、沼田城主代々の守り神であった。城主が苦戦した際に、山鳩多数が敵陣上空を舞い敵を混乱させて勝利をおさめた地とも言われる。天正八年(1五八〇)に真田昌幸が出陣に際して祈願して以来、代々武神として崇敬された。現在の神社本殿は三間社流造、側面二間、銅瓦葺きで、本殿に残る竣工時の棟札等によれば、万治元年(一六五八)に五代沼田藩主真田信澄(信利)により建てられたものである。拝殿内には市指定重要文化財の武術に関連した特徴ある絵馬群が奉納されている。境内には信州伊那郡上戸村の石工による甲積みの石垣・大鳥居をはじめとした多くの石造物がある。
崩れかけた鳥居が…‥立地はすばらしい。
御祭神 誉田別命沼田市指定史跡 戸鹿野八幡宮(真田昌幸ゆかりの神社)戸鹿野八幡宮は沼田城主代々の守護神でした。沼田城主沼田顕泰が享禄3年(1530)8月15日に後閑八幡宮を迎えて現在地に祀り城の守護神としたのが始まりとされています。金山城主由良氏が攻めてきて苦戦した際に、山鳩多数が敵陣上空を舞い、敵を混乱させて勝利をおさめた地との伝承もあります。天正8年(1580)皮肉にもここに必勝祈願をした真田昌幸によって沼田城は攻略され、以降、真田家にも代々武神として崇敬されてきました。現在の神社本殿は万治元年(1658)五代藩主・信利によって建てられたものであり、境内には信州伊那郡上戸村の石工による亀甲積みの石垣や大鳥居をはじめとした多くの石造物があります。(沼田市観光協会HP・境内案内板などより)沼田かるた【ゆ】由緒は古い戸鹿野八幡。
西暦1580年(天正8年)に真田安房守昌幸が出陣に際して祈願し、勝利したと伝えられています。代々厚く祀られ、武神として武士たちに崇敬されてきました。現在の神社本殿は、西暦1658年(万治元年)に建てられたものとのことです。境内には信州伊那郡上戸村の石工による亀甲積みの石垣・大鳥居をはじめとした多くの石造物があります。西暦1763年(宝暦13年)に造立された鳥居には、信州伊那郡上戸村、鈴木要助、同初右衛門の名が細工人としてあり、参道の石段の基礎部には、西暦1769年(明和6年)石工要助の名が見られるとのことです。時代の変化により、管理することが難しくなったのか、荒れてしまった場所もあります。
真田昌幸祈願。
| 名前 |
戸鹿野八幡宮 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0278-23-7565 |
| HP |
http://www.city.numata.gunma.jp/kyouiku/bunkazai/ichiran/shi/1000877.html |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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高低差のある神宮です。南方面向きに鎮座しています。石積みも綺麗です。