心洗われる雄山神社の参道。
雄山神社 前立社壇の特徴
雄山神社 前立社壇は、旧国幣小社として由緒正しい存在です。
駐車場も広く、アクセスは岩峅寺駅から徒歩圏内です。
天然記念物の杉林を通り抜ける厳かな参道が魅力的です。
岩峅寺駅からでも、大川寺駅でも歩く距離はほぼ一緒です。大川寺駅は無人駅でトイレもありませんので注意。
旧國弊小社。雄山神社は三社で構成され、こちらは前立社壇(まえたてしゃだん)です。駐車場は二箇所で、神社の北西の鳥居を潜って左に折り返した所がおすすめです。お手洗いはどちら側にも完備されていますが、夜間や早朝は施錠されるそうなので注意して下さい。写真は6月1日のものです。混雑こそしませんが、参拝客は少なくもありません。参道は木々の緑が美しいです。御朱印を拝受する方は先に社務所で御朱印帳をお渡しして、お参りの後に受け取る流れを取って下さい(神社側もこれを推奨しています)。
雄山神社の峰本社を登拝した翌日に訪れました。冬場は大雪で雄山の山頂にある峰本社へ参拝できないことで造営されたそうですが、天然記念物の杉林を通り抜けて拝殿までの道が厳かで、心穏やかに参拝することができました。
中新川郡立山町岩峅寺に鎮座する雄山神社 前立社壇です。日本三霊山のひとつ立山をご神体とする雄山神社は、立山頂上の峰本社、山裾の芦峅寺の中宮祈願殿、一番平野に近い岩峅寺の前立社壇の三社あり、三社合わせて雄山神社です。御祭神は伊邪那岐神、天手力雄神。前立社壇は立山の前に立つお社であることから前立社壇と呼ばれています。有り難く、雄山神社 前立社壇の御朱印を頂きました。
2023/9/8(金)参拝全国一の宮巡り(69ヶ所目)横浜からの弾丸ツアーで、翌土曜日の峰本社参拝の前に、金曜日のうちに中宮祈願殿と前立社壇を参拝しました。参拝時間は16:30まででしたが、ギリギリ到着し、御朱印をいただく事ができました。本殿の近くに滝があり、常に水の音に包まれている素敵な神社でした。相川七瀬さんが奉納された榊の木もスクスク育っていました。
⭕️訪問日…2023/2/19(日)昼過ぎ。岩峅寺 前立社壇には何度も訪れているが、常に常願寺川の水音が聞こえてくるのが好きだ。⭕️神門や拝殿の屋根雪が落雪する 危険を回避する三角形のトンネルは 富山県には意外と多い。⭕️オリジナル御朱印帳有り、直書き対応です。…2023/2/19(日)現在。⭕️芦峅寺 中宮祈願殿も同じですが、各 御祈祷の初穂料は7000円~です。
2022年9月19日に初めて訪れました。手前側の駐車場に停めて参拝しました。雄山神社は峰本社、祈願殿、前立社壇の3社あり、その3社合わせて宗教法人 雄山神社となるようです。雄山神社前立社壇は山裾に位置し、3社の中で一番平野に近く、立山の前に立つお社ということで前立社壇と呼ばれているみたいです。古来、富士山・白山と共に日本三霊山として全国各地から信仰されていて、山頂の峰本社は屹立した巌上にあり、冬期間は雪深く登山することが至難であったため、山麓岩峅(前立社壇)に社壇を建て、年中の諸祭礼を怠りなく奉仕したと伝えられています。御朱印も社務所でいただけて、雰囲気良く落ち着いた感じがとても良かったです。
富山市内からカーナビに従ってやって来ました。踏切を渡ると白い大鳥居が在りました。駐車場に車を停め、もう一度『一の鳥居』から潜り直します。丁度警報機が鳴り始め、暫くすると電車が通過。立山まで行くんだろうなぁ。『雄山神社』前の宮かと思ったんですけど『壇』って何だろ?『仏壇』とか『壇蜜』位しか見た事無い漢字。調べてみました。儀式などに使う一段高い場所。専門家集団の仲間(画壇・文壇など)ですと。(壇蜜は『さいとうしずか』さんの芸名でした)以前『雄山神社・中宮』を訪れた事が在りました。で今回は『前宮』から。踏切を渡った時の不安をよそに、境内は落ち着いた雰囲気の場所です。大きな『絵馬』が奉納されていたり、『剣岳』の山岳信仰『刀尾社』が摂社で祀られたり。う~ん『マムシ』は嫌だな。これで『前宮』『中宮』参拝したのであとは『奥宮』ですか。『立山』登らないと………
初めての参拝。そんなに広くはないけれど、ゆったりした雰囲気の境内。気持ちがしっかりリセットできました。
名前 |
雄山神社 前立社壇 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
076-483-1148 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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境内にある刀尾社に興味があります。雄山神社のHPでは御祭神を「伊佐布魂命(刀尾天神)」とした上で「刀尾天神は岩峅寺集落の氏神として祀られてきた」と説明しています。では、それは一体どういう神様なのでしょうか?岩峅寺集落からもほど近い立山町横江に尖山(別名・布倉山)という山があります。その奇麗な円錐形の形状から超古代のピラミッドとする説もありますが、そのことは別としても古来より信仰の山だったことは確かです。それは頂上から和鏡や土器類、銅製品など、祭祀に関わる遺物が発掘されていることからも裏付けられます。また江戸時代に書かれた『肯搆泉達録』によれば、大昔、尖山には「布倉媛」という姫神が住まいしていたと言います。その尖山は岩峅寺集落からも指呼の間に望むことができます。もしかしたら、岩峅寺集落で氏神として祀られてきた刀尾天神とは布倉媛のことではないでしょうか?布倉媛は新川郡船倉山の姉倉比売とともに能登の能登比咩と争った末に大己貴命に鎮められ、以後は「布を織り、貢とし、また女功を世に教へて罪を庚ふべし」と紡織の技術を伝えられます。一方、刀尾社が御祭神とする伊佐布魂命も紡織に関係があります。伊佐布魂命の子孫の倭文連は織物を生産する部民だったとされているのです。こうした共通点を象徴するように、布倉媛にも伊佐布魂命にも「布」の字が入っています。はたしてこれは偶然でしょうか?立山信仰というよく知られた信仰の体系にもしかしたら尖山信仰という全く別の信仰が「包摂」されているかもしれない……、そう考えてみたくなる理由があるのです。