秩父観音寺で見晴らしを楽しむ。
観音寺の特徴
秩父三十四観音霊場の二十一番札所です。
見晴らしが良く落ち着いた雰囲気が魅力です。
八幡神社が隣接し、特徴的な二本の長い木があります。
朝10時にレンタサイクルでスタートして札所1〜21番まで回りました。17:00の自転車の返却期限のためここで打ち止めです。御朱印を集めなければさくさく進みます。2日目で全て回り切れるかどうか。行程の印象が残るので、どうしても市の中心部は記憶に残りませんね。
秩父三十四カ所 二十一番札所 観音寺御本尊は聖観音街道沿いにあって、大正期に焼失して再建されたこともあって、秩父の札所の中では割と開けた印象のあるお寺です。目の前にバス停あるものの本数少なく、秩父市街地からそう遠くはないものの、公共交通機関で来るには難易度の高い札所です。「開扉」と描かれた鮮やかな提灯がお堂に掛けられていて、御開帳期間の特別さが感じられます。
秩父34札所巡りの21番め。火災にあったものの、本尊の聖観音は焼失を逃れ火難除けの御利益があるとされているお堂。秩父荒川線に面しているため、道路から直接境内に入ることとなる。
秩父三十四観音霊場の21番札所。午歳総開帳を機に2度目のお参りに伺いました。境内の道を挟んで反対側に参詣者の駐車場があります。道からすぐに御本堂があり回向柱も表から見ることができました。コンパクトな境内には真言曼荼羅供養塔、弁財天石塔、芭蕉句碑、宝篋印塔などが配されています。ご本尊の聖観世音菩薩は火難に対して霊験があるとされています。間近でご尊顔を拝しながらお参りさせて頂きました。
御朱印巡りで伺いました真正面に武甲山が見えて良い景色。
お寺の真正面、道路を挟んだ所に駐車場(路側帯みたいな所)がありますが、車通りが多く出る時見ずらいので注意が必要です。
秩父三十四ヵ所観音霊場の参拝でお伺いしました。真言宗豊山派のお寺で要光山観音寺といい、霊場第二十一番札所になります。御本尊は聖観世音菩薩で別称「火伏観音」と呼ばれる像高三十センチメートルの像です。大正十二年(1923年)に隣接した小学校の火災により類焼、翌年に小鹿野にあったお寺の解体廃材を購入し再建した観音堂で寄棟の屋根に起り向拝を付けた建物です。別名矢之堂(やのどう)と言われています。境内にある宝筺印塔は宝暦十四年(1764年)の銘があり歴史的価値の高いものです、境内にはその他に真言曼荼羅供養塔・弁財天石塔・芭蕉句石碑があります。観音寺は県道に面して建っており山門や塀は無く解放的な札所です。
秩父霊場21番20番岩上堂荒川の縁から戻り、平坦へ、観音寺です。観音堂ばかりに目を引きますか、後ろを振り返ると、武甲山の尾根まではっきり見えます。痛々しくも感じますが、御本尊様もきっと時代の片鱗を見守って下さってると思います😊
県道沿いに有り行きやすいです。道向いには駐車場が有り便利です。また、近くには観光トイレも有ります。
| 名前 |
観音寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0494-24-7263 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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県道72号線沿いにある、山門も塀もない開放的な境内です。入口に立つと、左手に地獄より天までの一切衆生を教化するという六地蔵尊が、右手には宝篋印陀羅尼を納めた宝篋印塔、その隣に手水舎と延命地蔵尊が祀られていました。午歳総開帳ということで、観音様から紅白の綱が回向柱まで引かれていて、綱に触れて観音様とご縁を結んだ後、鰐口を鳴らしてお参りしました。 向拝には「矢之堂」の扁額と御詠歌「梓弓 射る矢の堂に 詣で来て 願ひし法に あたる嬉しさ 」の扁額が掲げられていました。こちらにも観音霊験記の扁額が掲げられています。昔この地は、元八幡宮の社地で神託により観世音の霊場になったといい 、邪神悪魔を除き仏地にせんと八幡大菩薩の放てる神矢がここに落ち、悪魔退散したるため名づけて矢の堂をなすという縁起があるそうです。このほか境内には百萬遍念仏塔、弁財天石塔、芭蕉句碑などがありました。以下は境内にあった各種由緒書、石碑の内容です市指定史跡秩父札所第二十一番要光山観音寺この堂は、通称矢の堂と称し、本尊は聖観世音で他に幾体かの仏像があります。大正十二年小学校火災により類焼後、今の堂がつくられました。焼失前は三間四面の堂であったといわれ、境内には聖観音立像、百萬遍念仏塔、弁財天石塔、芭蕉句碑等あり盛時が偲ばれます。道前の道端には地芝居役者の座頭中村十九十郎の供養碑もあって地芝居隆盛の昔を偲ぶ民俗資料としても貴重です。昔この地は、元八幡宮の社地で神託により観世音の霊場になったといいます。「邪神悪魔を除き仏地にせんと八幡大菩薩の放てる神矢がここに落ち、悪魔退散したるため名づけて矢の堂となす」という縁起があります。昭和四十年一月二十五日 秩父市教育委員会指定要光山 観音寺この堂は、通称矢の堂と称し、本尊は聖観世音で他に幾体かの仏像があります。大正十二年小学校火災により類焼後、今の堂がつくられました、焼失前は三間四面の堂であったといわれ、 境内には聖観世音立像、百萬遍念仏塔、弁財天石塔、芭蕉句碑等あり盛時が偲ばれます。堂前の道端には地芝居役者の座頭中村十九十郎 (田舎千両と称えられた)の墓もあって地芝居隆盛の昔を偲ぶ民俗資料としても貴重です。昔この地は、元八幡宮の社地で神託により観世音の霊場になったといいます。邪神悪魔を除き仏地にせんと八幡大菩薩の放てる神矢がここに落ち、悪魔退散したるため名づけて矢の堂をなすという縁起があります。昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定由緒沿革碑当寺は開基不詳なるも中興開山は祐元法印にして明和三年(江戸時代後期)三月二十九日没せり大正十二年火災と被むるも直後堂宇一棟を建立せしもの現在の建物なり日本百番観音霊場に名を列ねる秩父は古きより山紫水明と共に信仰心篤く人情厚き人の住める前なり十数碁の祖師先徳尊霊の墓ありたるも風化損傷いちじるしきにより檀徒相はかりここに再建せし次第なり昭和六十三年十月二日観音寺兼務住職請川良真 撰文並びに書六地蔵について釈迦入滅より弥勒菩薩の出現までの間に於て身を六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)に表し地獄より天までの一切衆生を教化する大慈大悲の菩薩である安忍不動なること木地の如く 静慮深密なること秘蔵の如くなれば地蔵と名づくなり真言宗豊山派中興の祖、興教大師八五〇年御遠忌記念事業として之を建立するものなり平成四年四月十八日要光山観音寺 檀徒一同 現住職良真董書市指定史跡 札所二十一番。