高谷地下壕群の歴史を感じる。
高谷砦跡の特徴
昭和20年の地鎮祭が行われた歴史的な場所です。
高谷地下壕群の跡地として独特の雰囲気が漂っています。
歴史に触れられる貴重な観光スポットです。
場所が、わからない😫
砦へのピークに続く道はあれ放題、道が途中から消えてしまい諦めました。
小高いお椀を伏せたような丘を主郭にした、多分、見張り台か狼煙台みたいな砦跡だと思います。とにかく、整備がされていないので、視界が限られますし藪漕ぎを強いられますので、いくつか遺構が確認できますが、全体像を脳内に構築するのが大変です。また、狭いですし平坦地がないから、人が住めるような場所ではないです。防御の主体は、お椀のような小山の崖と南側の尾根筋に主に向けられた土塁と空堀ぐらい?樹木がなければ西方向の腰畑城と杉山城は見えるかもしれません。北側の四ツ山城は見えないですし、南側の中城と青山城、南西側の安戸城と腰越城も見えません。鎌倉道や秩父方面への見張りか?なんの目的か?ちなみに、林を抜けた団地から青山城の手前の仙元山は見えました。
名前 |
高谷砦跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.1 |
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此の場所には昭和20年5月26日11時地鎮祭が行われた高谷地下壕群が有りました。吉祥寺の陸軍司令部の疎開先です。『埼玉の戦争遺跡』p134, 関口和也, まつやま書房, 2023 /『小川町の歴史 資料編七』p304 / 『小川町の歴史 通史編』