武士を弔う如意輪観音。
如意輪観世音の特徴
鎌倉時代に創建された如意輪観音を本尊とするお寺です。
村岡河原の戦いに関係する歴史的な石碑が境内にあります。
武蔵武士を弔うために建立された寺院の由緒があります。
ここに来ると落ち着きます。コロナ禍で、不安な毎日を過ごしていますが、祈りが届くとありがたいです。
創建は不明だが、境内御堂再建の石碑から永享12年(1440)の村岡河原の戦いで、敗れた一色伊予守を始めとする武蔵武士を供養用した「如意輪観音」が有ります。
名前 |
如意輪観世音 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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如意輪観音堂境内にある御堂再建の石碑によれば、鎌倉時代・永享かんとうかんれい十二年(一四四〇)七月、鎌倉公方足利氏と関東管領のいっしきいよのかみ上杉氏が争った「村岡河原の戦い」で敗れた一包伊務がをはじめとする武蔵武士の勇士を弔うために、天台宗本山より勧進した『如意輪観世音』を本尊とした如意輪寺を建立したと伝えられている。この御堂の再建は、村民からの弐千有余円の浄財弐千百余人の賦役によって再建されたものである。かつて、縁日には多くの参拝があり、団子も投げられ、盛大な祭典が行われたが、いつの頃からか途絶えてしまった。御本尊である如意輪観世音は、江戸時代に不明になったと伝えられており、現在は同じく江戸時代の作と考えしょうかんのんぼさつりつぞうられる『聖観音菩薩立像』が安置されている。境内には江戸時代・寛政十一年(一七九九)に建立された馬頭観音や坂東・西国・秩父百番巡礼供養塔、二十二夜塔の石碑などがあり、観音様として篤い信仰を受けていたことがうかがえる。