名蔵ダムで台湾農業の歴史を感じる。
臺灣農業者入植顕頌碑の特徴
名蔵ダムの一角に位置し、歴史を感じられる場所です。
台湾人の農業を記念した特別な碑が設置されています。
石垣島の静かな環境で心安らぐひとときを過ごせます。
很像台灣南部水庫的地方名藏水庫附近的「台灣移民開發與鳳梨產業紀念碑」。1. 核心人物與背景1935年(昭和10年)前後,由林發先生領軍,帶領一群來自台灣台中(員林、大肚等地)的移民來到石垣島名藏、嵩田地區。 當時該地仍是荒野,移民們忍受瘧疾威脅與極端貧困,徒手開墾山林。2. 兩大產業功績鳳梨產業:移民們引進了優良的台灣鳳梨品種與先進的種植技術。1938年成立「大同拓殖株式會社」,建立鳳梨加工廠(罐頭工廠),奠定了石垣島成為日本重要鳳梨產地的基礎。引進水牛:為了提升耕作效率,移民從台灣引進了水牛。水牛的引入徹底改變了八重山地區的農業結構,讓荒地能更有效率地轉化為農田。3. 歷史脈絡戰爭期間工廠曾被迫停產,甚至改作軍事用途。戰後移民與當地居民共同努力,讓鳳梨產業重新復甦,並在 1960 年代達到巔峰,成為支撐石垣島經濟的重要支柱。4. 紀念意義這座碑是在2021年設立,感念這群台灣移民在異鄉奮鬥的精神,並象徵台日間深厚的友誼。
パイナップル産業と水牛導入の功績を称える石碑より碑文を文字起こししてみました。パイナップル産業と水牛導入の功績を称える台湾中部の台中や員林地方の大同パイングループは、一九三五年(昭和一〇年)、パイン生産の新たな活路を求め石垣島の名蔵・嵩田地区に入植しました。林発氏らを中心に大同拓殖株式会社を設立、六〇戸、三三〇人を呼び寄せ、幾多の苦難を乗り越えパイン生産に成功し、一九三八年夏、初めて缶詰を本土に出荷しました。しかし戦時体制下でパイン栽培は禁止となり、工場も日本軍の兵舎にとられ、敗戦で廃業しました。工場を失った林発氏や廖見福氏らは、パイン産業を再興するため秘かに保存していたパイン種苗の普及を図り、家内加工による缶詰生産を再開します。時の琉球政府のパイン奨励、日本政府の輸入関税免除で、栽培は飛躍的に広大、格好の換金作物として、沖縄本島や宮古からの入植者たちの生活も支えました。やがて生産は沖縄本島北部への広がり、さとうきびと並ぶ二大基幹作物に成長、最盛期には全沖縄で二一工場となり、日本復帰前の沖縄経済を担いました。水牛は一九三三年に台湾からの移民により農耕用に三〇頭が導入されたのが始まりです。これが繁殖して普及 八重山の農業生産の向上に大きく貢献しました。よって私たち市民・県民有志は、パイン産業と水牛を導入した台湾農業者の功績を称え、ここに感謝をこめ顕頌碑を建立します。二〇一二年一月 台湾農業入植者顕頌碑建立期成会。
來到石垣島看看台灣人帶入農業紀念碑。
名蔵ダムの一角に静かに建てられている「臺灣農業者入植顕頌碑」。初めて見た時は「どうして台湾の?」と少し驚きましたが、碑文を読んで納得。戦前、台湾から多くの農業者が石垣島に入植し、この地の農業発展に大きく貢献したことへの感謝と敬意が込められた記念碑なのです。島の歴史というと、どうしても琉球王朝や八重山戦争などに目が向きがちですが、こうした静かな記憶を後世に伝える存在も大切だと改めて感じました。名蔵ダム自体もとても穏やかで気持ちの良い場所です。ダム湖に流れ込む水は、石垣島最高峰の於茂登岳(おもとだけ)から流れる清らかな源流で、湖面もどこか神聖さを感じさせるほど静か。風が吹くと水面がさざ波を立て、鳥の声が響く以外にはほとんど音がありません。観光地のような賑やかさはありませんが、だからこそ心が落ち着く場所です。この碑の前で立ち止まり、しばし歴史に思いを馳せるのも、旅の中でのとても豊かな時間だと思います。石垣島の自然と、そこに生きた人々の歩みを感じられる、静かで素敵なひとときでした。
| 名前 |
臺灣農業者入植顕頌碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.8 |
| 住所 |
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非常棒的展望與景觀,秀麗的湖光山色。