草ぼうぼうの沖縄戦跡を探訪。
歩兵第八十九連隊玉砕終焉之地の特徴
大東亜戦争関連の戦跡で歴史を感じる場所です。
旭川出身の連隊が沖縄戦に投入された貴重な史跡です。
周辺に駐車場がないため、アクセスには注意が必要です。
近くに車両等を停め徒歩で行くことをお勧めします。一見分かりにくいですが、入口にはしっかり看板があり、でかいクワズイモを横目に踏みならされた道と途中からコンクリート道を通り1分ぐらいで終焉の地碑に到着します。さらにその左側20秒ほど行くと説明板と壕口があります。
一部、雑草が生い茂った道を歩きますので虫除けの服装で行く事をお勧めします。
5月終盤、入り口から草ぼうぼうで、たどり着くためには覚悟がいりました。
大東亜戦争の戦跡めぐりもともと北海道旭川の連隊だったが、満州へ派遣された後、第24師団に所属してサイパンを経て沖縄戦に投入された部隊です。部隊には北海道出身者を中心に編成され、沖縄に渡ってからは、沖縄の若者も多く配属されています。奮闘むなしくこの地で連隊旗を奉焼し、金山均連隊長が自決した場所です。組織的な戦闘終了に伴い、他の将兵は、ゲリラ戦に移行して行きました。
駐車場はありません。季節によるかもですが膝下が見えない草むらの奥にあるので勇気が要ります。89連隊は旭川に本部があり北海道出身の兵士が多く、沖縄に配属された時は2800人くらいの部隊だったそうです。運玉森の攻防で敗れ、南部に撤退後も最前線で攻撃を受け続け連隊は玉砕、連隊長はこの壕で自決されました。米軍制圧後は10日以上燃え続け中は全て灰になったそうです。
歩兵第八十九聯隊 沖縄戦々跡昭和二十年、沖縄本島をめぐる日米両軍の攻防は、五月初旬第三二軍が総力を傾けた首里戦線の死闘も空しく終に軍主力を南部島尻地区に後退線■の持久を図る、歩兵第八九聯隊は、八重瀬、与座、両缶南西山■に陣地を配備、其の後方新垣後原(此の壕内)に聯隊本部を置き第二四師団前衛の任に当たる、然れども空海を制する米軍の進攻は早く六月一五日東西善戦を蹂躙突破、指揮下部隊との連絡も途絶、聯隊の命運の旦夕に迫る、六月一九日金山連隊長は愈々最後の時を決断、軍旗を奉焼し壇司令部に決別を打電、所在の児玉工兵聯隊長と共に自決す、また聯隊本部に所属せる鈴木少佐ほか多数の将兵も生存皆無の為、同日を相前後し全員壕内外で自決■しくば戦士と認められ歩兵第八九聯隊は茲に悲運の幕を閉ずる。戦後の調査によると此の壕は、師団工兵隊構築による坑道式陣地壕で全長概ね八十余米、米軍制圧後は延々十余日に亘り燃え、内部のすべてが灰燼と化した事は遺族にとり洵に断腸の思いである。依って本壕は、肉親玉砕の聖地たる意も含め沖縄戦語り継ぐ貴重な歴戦跡として末長く後世に遺すべく此の銘碑を建立する。平成十五年十月三十一日歩兵第八九聯隊顕彰碑奉賛会 関係遺族 支援有志一同-案内板より-
駐車場はありません。季節によるかもですが膝下が見えない草むらの奥にあるので勇気が要ります。89連隊は旭川に本部があり北海道出身の兵士が多く、沖縄に配属された時は2800人くらいの部隊だったそうです。運玉森の攻防で敗れ、南部に撤退後も最前線で攻撃を受け続け連隊は玉砕、連隊長はこの壕で自決されました。米軍制圧後は10日以上燃え続け中は全て灰になったそうです。
近くに駐車場などなく、道路の脇に止めるしかありません。台風のあとだったからかもしれませんが、入口もとてもわかりにい場所にあります。草木の生い茂る場所を歩くので、虫除けスプレーをおすすめします。
非常に見つけにくい場所にあります。重たい空気を感じました。ですが一度ここを感じに足をのばしてみて下さい。お水かお酒を持って。
| 名前 |
歩兵第八十九連隊玉砕終焉之地 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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冬に行きましたが特に危険な場所ではありませんでした。山の中のとても静寂な場所ですので是非ともお祈りして下さい。