深い森に囲まれた神秘的な神社。
青山神社の特徴
鬱蒼とした森の中、静寂に包まれた神秘的な場所です。
延喜式神名帳に記載のある古い式内社という歴史を持つ神社です。
県道61号線沿いに位置し、長い参道が訪れる人を魅了します。
ふらっと立ち寄り御朱印は水戸八幡宮で貰える。
鬱蒼とした森の中にひっそり鎮座する神社です県道61号線の白い鳥居をくぐり、左右に高く聳える杉などに挟まれた真っ直ぐ伸びる参道の先に社殿があります森の中なので境内は極めて静かで、このときは風による葉擦れや鳥や虫の声もなく、自分が立ち止まると完全な無音な世界で、樹木の隙間から光が差し込む風景は神秘的幻想的で素敵な場所に感じられました社殿は定期的に清掃や手入がされているようでしたが、荒廃や衰退の流れには逆らえないようで物寂しくもありますここに限らず日本全国でこのような神社が増えているこを思うと心苦しいです。
延喜式神名帳の常陸国那賀郡の項に記載のある式内社。大きな樹々に包まれた、長く美しい参道が続く。敷石などもなく、大きな木の根道。参拝したのは晩秋の午後。社頭の案内板によると、御祭神は五十猛命。五十猛命は多くの樹々の種を我が国に植えて、大八洲は緑の多い国土となったという。そして妹神の大屋津比賣命、都麻津比賣命とともに紀州の伊太祁曾神社に祀られている。当社の参道を歩いていると、まさに木の神が祀られている雰囲気がある。社伝によると、宝亀三年(772)に伊太祁曾神社から勧請されたとある。また同年に当地への遷宮があったとする説もあるとのこと。当社では特殊神事として高祓(たかばらい)が昭和41年まで続けられていたが、今は絶えてしまった。お祭りは旧暦の9月29日に行われていた。午後11時から午前2時までに行われる。2人の男子が神子として選ばれ拝殿に神主・巫女・付添人が玉串を捧げてから、二の鳥居に行き、ホーイ、ホーイと叫んで神社の社殿に合図をする。すると神殿では御神楽を奏する。さらに馬上先に下り、300mぐらい離れた水田の中に行って、しめ縄をはって、大きな声でホーイ、ホーイと神社に合図する。そしてまた神殿で御神楽を奏する。この300mぐらい離れた水田にはその高祓という特殊神事が行われていた跡が残っている。また、案内板によると、この神社の周辺に上青山古墳群という東西400m、南北150mの範囲に40数基の円墳のある群集墳があるとのこと。古墳時代後期のものという。
かなり古い神社で、水戸から茂木へ抜ける街道の途上にある。茨城は大和朝廷の占領地沿いに大きな神社があることが多いが、こちらもその類だろうか。もっとも、主神は五十猛命という植林の神様なので、開拓民たちの守り神という意味のほうが強いかもしれないが。参道は長めであり、往時からの雰囲気を残している。とはいえ、大風で傷んだのか伐採されているところもあり、ややスカスカな印象を受けるところもあった。手入れされているともいえるかもしれないが。森の規模自体はかなり大きい。若宮八幡や又鹿島明神とされていたこともあるようだ。水戸光圀が、元の祭祀に戻したという。拝殿自体はそんなに古くはなく、江戸時代末期のもの。
鳥居から本殿まで結構ありました。参道の両脇にある杉並木が立派でした。
笠間から常陸太田に続く61号線沿いに佇む、長~い参道が印象的な延喜式内神社です。一人だとちょっと恐いかも😅。創建は8世紀、祭神は五十猛(いそたける)命🙏。スサノオの息子で、朝鮮半島から植物の種子を持ち帰り育生したとのことで、森林育生の神とされてるようです。案内板にもありましたが、地名が青山と言うのもうなずけます。社務所、トイレ🚻はないのでご留意を。
参道は、300メートルあるそうです。所々石段があります。周りは杉林。手水舎、水ありません。 一部きれいに手入れしてある所もありましたが、拝殿から本殿へ続く所は草が生い茂っていて残念です。 でも、本殿はその割に力強い。 周りにはいくつかの末社があります。 トイレらしきものや何だかわからない建物もいくつかありました。 因みに、駐車スペースは、鳥居の手前に10台位は停められるでしょうか。 宮司さんはいませんでした。(社務所がありません。)
一の⛩️をくぐって長~い参道の先に社殿がありました。
【山西式社殿】日立長郡青山神社(原文)延喜式内社,常陸國 那賀郡 青山神社。
名前 |
青山神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ

御祭神は五十猛命。創建は宝亀3(772)年,紀伊国の伊太祁曽神社の分霊を勧請したのがはじまり。延宝4(1676)年の火災で重宝古記一切も消失し由来の詳細が分からなくなってしまい,鹿島明神とか若宮八幡宮とも呼ばれていたが,元禄9(1696)年,光圀によって往古の「青山神社」の社名に戻されたそうです。境内の由来書によれば,「五十猛命は,素盞嗚尊の御子で,またの名を大屋彦命といい,御母は大夜之神である。五十猛命は,父君に従って新羅の国に渡り,杉・桧・樟等の八十木種を播種された後,その樹種を持ち帰り,築紫(九州)の島より広く大八州の国々に播種された。山林はうっそうと茂り,貴重な用材となった。爾来,五十猛命は有功神と申して,森林育成保護の神として祭ってきた。青山という社名も地名も,御神徳より出たものと伝えられている。」なお,「青山」ですが,昔の人は青と緑の区別がつかなかった(そもそも緑という言葉がなかった)ため,今でもその名残として青野菜・青虫・青信号などの表現が残っているのです。現代ならば緑山神社でありましょうか。Googleマップで青山神社を探した時,広大な空白の真ん中(いや少し北より)中に神社マークがポツンとあり,どこからアクセスしたものかと考え込んだのですが,結論としては南側。道路脇に駐車スペースもあり,鳥居脇には「茨城の自然百選選定 青山神社周辺の森」と「アジサイの杜」の看板が。鳥居をくぐると,まさに鬱蒼とした森の中,参道は北へ北へと延びています。これが長い・・・約300mです。参道脇には杉や檜の大木が立ち並び,さすがは五十猛命が播種された森というべきでしょう。ようやくたどり着いた社殿境内には,自然の息吹漂う神聖な雰囲気で満ち充ちていました。(2018.10記)