加治木の歴史を感じる場所。
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| 名前 |
東禅寺墓地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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加治木肝付氏の墓がある大永7年(1527),島津忠良は加治木城の伊地知重貞を攻め破り、戦功として肝付兼演(初代)に加治木の一部を与えた。天文3年(1534)兼演は溝辺城から加治木城へ移った。兼演は蒲生・渋谷両氏と連合して島津氏に対抗したが、天文19年(1550)に貴久へ降伏し、改めて加治木の領地をもらった。文禄4年(1595)の太閤検地で、加治木の地は豊臣秀吉の直轄領となり、4代兼三は喜入に移された。右端の墓塔は加治木肝付3代兼寛(利翁守益庵主)のものという。階段を上がり左の門のある所には、西南の役で別府晋介率いる6・7連合大隊の7番小隊長の宇都宮良左衛門と8番半隊長の犬童英輔の墓がある。