小川亭跡で京都の歴史を感じて。
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| 名前 |
小川亭跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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写真の撮影日時は、“小川亭跡”は2025.09.01(月)17:39、“(京都市山科区・本圀寺内)加藤清正公真正御廟”は2025.06.05(木)13:46。昨日(09.01月曜)は本来こちらへ来る予定はなかった。13:00所用にて山科区役所へ行き、それを終えてからは、京都市上京区・日蓮宗妙顕寺に行く予定だった。ところが、京都市営地下鉄東西線で椥辻~二条城前~市バス9番で妙顕寺のある堀川寺ノ内で下車。バス停から少しだけ下がったところの横断歩道を渡り、裏千家会館や薄雲御所、毘沙門天などをお参りしたり写真を撮ったりして北上し、天神公園(扇町公園?)で休憩した。実はだいぶ前に一人で本法寺は訪ねたことがあるが、その近くの妙顕寺は御縁がなく参拝したことがない。どうしてもお参りしたいと思ったが、公園内の水火天満宮が気になりお参りさせていただいた。天満宮で最後の写真(正門の大きな石灯籠)を撮る直前にインストールしている“ニュースダイジェスト”というアプリからアフガニスタン東部で M6.0 の地震があり、速報が入った時点で既に610人が亡くなったとのことだった。水火天満宮を出て天満宮の外壁のところに腰掛けて水分補給をしていたが、相当暑く妙顕寺を断念して待たずに来た市バス12番で祇園四条前で降り、ゆっくり鴨川沿いの遊歩道を歩いた。そのとき眺めた鴨川の流れと大きな木に白鷺が2羽、あと、多分鳩が暑さを凌ぐが如く留まっていたのが印象的だった。ふと、“わたしは色々なお蔭で生きている”と感じ、自然と涙が流れた。その場で恩人に電話をかけ、また横断歩道を渡り、祇園の途中から三条方面へ歩(あゆみ)を進め、熱中症にならないように座ったところにこの石碑があった。京都市の公式ホームページに京都の史蹟などについて説明するページがあり、以下に簡単に記す。また、何故加藤清正公真正御廟の写真を同時掲載するかというと、この“小川亭”の前身は、肥後藩御用達“魚卯”であるが、肥後藩の初代藩主は加藤清正公であり、偶々06.05(木)に加藤清正公真正御廟を訪ねて、法華経を読経したからである。加藤清正公は生誕日も忌日も06.24であるが、梅雨を避けて06.05にお参りした。維新史蹟小川亭之跡…建立年・1987建立者・記載なし京都市による調査・2002.02.19加藤清正公…永禄5.06.24~慶長16.06.24(1562.07.25~1611.08.02)享年40細川護久(肥後藩最終藩主)…天保10.03.01~明治26.09.01(1839.04.14~1893.09.01)享年55…因みに、加藤清正公の父の名は加藤清忠、母は鍛治屋清兵衛の娘、伊都というが、わたしの曾祖母は名前をイトという。肥後藩の最終藩主細川護久の西暦の忌日は09.01、同日偶々写真を撮ったし、何だか奇遇な感じがした。合掌。