中世の夢、額田城跡散策!
額田城跡の特徴
鎌倉時代の築城、佐竹義直が手掛けた城跡です。
整備された遊歩道を散策しながら堀や本丸を楽しめます。
県内でも珍しい約77,000平米の大規模中世城跡です。
広大な城域とそれぞれの曲輪(特に本丸と二の丸間とか)に深い堀が仕掛けられた土のお城見どころ:曲輪、土塁、横堀(空堀)駐車場:阿彌陀寺。
佐竹の次男が興した城、佐竹家の内乱で本家に負けて滅ぼされ、家臣の小野崎氏が入城しました、しかし戦国後期に伊達と通じて佐竹本家に攻められ追い出され廃城となりました当時は超巨大な敷地だったらしい額田城跡駐車場があります大通りからの曲がり角は超狭いので近づいたら減速して注意して曲がりましょう駐車場から歩いてすぐに深い外堀があります、二の丸から本丸を囲う様にずっと続いていますこの城は勾配は全くありません左に歩き花畑のある二の丸から本丸へ抜けたら本丸外周を時計回りに歩いて堀を見て下さい、本丸奥から堀底に降りて二の丸まで戻りながら歩きましょう堀を歩ける城趾は最高ですね。
お城等の建物はないですが、お堀?がなかなか広いです。時間があるときにゆっくり見学したいです。
中世の城跡です。連郭式の縄張で、とても広い本丸と、二の丸、三の丸で構成されています。本丸は、林になっていますが、回りを一周歩くことができます。二の丸は、広場になっていて、縁に桜の並木があり、花壇が整備されています。三の丸は、畑や住宅地になっています。とても広い城跡で、土塁や空堀がはっきりと残っているので、当時の様子を思い馳せることができます。堀の底や土塁の上、郭の中も歩くことができますので、起伏があり、ハイキングコースとしても、おすすめします。額田城跡の駐車場から、枝垂れ桜で有名な阿弥陀寺まで歩いて行けますので、そちらのコースも良いですね。
本丸のみ訪問、堀深めでワクワクします!本丸の南入り口、立木が折れそうなのがあって怖い!
阿弥陀寺の裏手の方から少し歩くとアクセスできます。天気、散歩に適した季節に歩くとよいかもしれません。
建長年間(1249~1256)の築城との事。郭、土塁、堀等の遺構がはっきりと残されています。現在本丸は山林に、二の丸は畑と花壇、三の丸は住宅地へと変わっていますが散策路がしっかりと整備されているので、安心して見学できました。(^o^) それにしても……広いですね。💦
300年以上この地に城を構えた額田氏のお城。佐竹氏のお家騒動に巻き込まれながらも最後は小田原征伐後に佐竹氏により滅ぼされてしまいました。何時ぐらいからこれだけの巨城になったのかは分かりませんが、とにかく縄張りが広大で北は額田小学校、南は鱗勝院の先まで外郭外堀の遺構が残っています。半日散策しましたが半日では足りませんね…しかしメインの主郭〜三郭までは非常に状態の良い遺構が目立ち、郭を堀と土塁で囲む立派な姿が見られます。堀から湧水が湧く場所があり、メダカの姿も見られその水は有ヶ池跡である水田に流れています。額田城保存会等の有志の方の整備や案内板、外郭散策中も地元の方や農作業をやられている方全ての方々が丁寧に外郭遺構の場所を教えて下さいました。このお城は地域一帯で守られている様な感じがしました♪駐車場は第2を利用しましたが、道が狭く県道側も出口が見えづらく危ないので「阿弥陀寺」の駐車場か「額田地区交流センター」の駐車場をオススメします。どちからでも額田城散策路が設定されオススメです♪
佐竹氏4代当主、佐竹義重の次男である佐竹義直が築城したとのことです。佐竹義直は額田氏と称するようになった。3男の義澄は真崎氏、4男の義高は岡田氏、6男の義綱は岡部氏として分家している。長男の長義は本家5代目を継いでいる。その後、本家にて11代義盛に嫡子がおらず、後継者に山内上杉氏の上杉義憲の名前が挙がり、後継者問題から一族巻き込んだ内乱が勃発します。この内乱で山内上杉氏を佐竹氏本家に入れることに反対していた額田氏は滅亡しました。その後、額田城には佐竹氏重臣の小野崎通重が入城し、小野崎額田氏を称するようになる。しかし、小野崎額田氏はその後佐竹氏本家に歯向かい伊達氏に内通していたことから佐竹義宣に攻められ落城した。今も昔も身内同士で揉めるのは変わりません。はい。そんな歴史ある額田城ですが、現在は城址公園として整備されており見学がしやすいです。整備されているが、遺すところは遺しており好感がもてます。駐車場も3ヶ所位かあります。
| 名前 |
額田城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
029-298-1111 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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立派な掘りきりがあるし散策には良いですが、第2駐車場からの案内板が無く自分は遠回りしてしまいました。