木舟城跡で戦国の息吹を感じる。
木舟城跡の特徴
富山県指定史跡の木舟城跡は、鎌倉時代まで遡る歴史的な場所です。
整備された公園には、丁寧な説明板があり見学もしやすいです。
安土桃山時代の天正大地震で倒壊した城の跡が見られます。
■木舟城(きふねじょう)跡富山県福岡町にある史跡。の天正大地震で倒壊した木舟城(平城)の跡地。●起伏のある地。田園の中に遺された跡地。遺構はない。標札や標石がある。駐車スペースを設けて公園、遊具やベンチはない。安土桃山時代の天正地震(てんしょうじしん)で木舟城は倒壊した。城主の前田秀継夫妻など多数が死去。前田秀継は前田利春の子で前田利家の弟。◉岐阜県側の国道156号線脇に嘗てあった帰雲城(かえりくもじょう)。大野郡白川村三方崩山の下、保木脇にあった内ヶ島氏の城趾の推定として「帰雲城址」の石碑がある。天正地震による山崩れで城と城下町全体の全てが埋没し、消えている。同じ天正地震で近江長浜城城主の山内一豊の娘が犠牲になる。小牧・長久手の戦いから1年、秀吉が家康を攻める算段の矢先での此の天災が歴史を変えたのかも知れない。
往時の姿を偲ばせるものはほぼほぼ残っていませんが、手入れが十分になされた公園と丁寧な説明板があります。城の一部だったという神社も含めて散策できます。地元の方が掃除などをされておられるのでしょう、草も綺麗に刈られていて、トイレも綺麗でした。
特に目立ったものはない印象だが、案内板がちゃんとしてて、駐車場もあるので助かる。
前田利家の弟がいたが地震で壊れちゃった。
富山県指定史跡木舟城跡築城は鎌倉時代まで遡り、石黒氏が築いたとされます。天正年間には佐々成政の支配下となりますが、豊臣秀吉の北国征伐で佐々成政が降伏した後は前田氏の城となりました。のちに天正地震(天正13年1585)によって崩壊、その後廃城となりました。現在は富山県指定史跡となっており、主郭部の遺構が残っています。
本当に跡しかなくしかも草に覆われて近くまでは行けない、近くなので行ったが遠くからわざわざ来る所ではないと思いますが。
城跡の一部が公園として整備されています。湿地帯を利用した城だということがよくわかります。
安土桃山時代の天正大地震で木舟城は倒壊しました。城主の前田秀継夫妻など多数が死亡しました。前田秀継は前田利春の子で前田利家の弟になります。
天正大地震で城は倒壊、城主 前田秀継 (前田利家末弟) は死亡した様です。
名前 |
木舟城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.2 |
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信長の野望で見た気がする。もう少し情報が欲しいところ。せっかく神社とか残ってるし。