由緒正しい塩の宮でご朱印。
多久比禮志神社の特徴
白髪の老人が伝えた塩水の泉が神社の伝説です。
駐車場が広く、アクセスしやすい立地なのが特長です。
カナデルベリーとのコラボご朱印が楽しめる神社です。
駐車場は広くで道沿いにあるので入りやすかったです。御朱印は見開きのがでていたのでそちらをいただきたかったのですが5月限定でした。今は近所のお店とコラボ御朱印だそうです。
春分の日に近いと、参道から鳥居を見た方向に太陽が昇るようです。
タクヒレシ神社サン。平地に鎮座され、とてもキレイに整備されてます。可愛らしい御朱印イタダキマシタ(*´ω`*)♪神社でも御寺でも無く、いちご園とコラボした御朱印もある様ですw駐車場も広いです。
カナデルベリーとのコラボご朱印をいただく。神主さんの対応も良く 簡易神棚もいただく。
いつも参拝させてもらってます。あまり人に出会わず、ゆっくり参拝出来ます。社殿に神社の事記載されてあるので、私のように神社知らなくても、所以理解できるのである助かります。このような神社仏閣増えれば嬉しいな。本日の発見は、社殿右手に社務所が出来てました!コンテナっぽかったですが、良い感じ。また伺いますー。
たくひれしじんじゃしおのみやYouTubeにて丁寧な説明なども。
由緒正しい神社なんでしょうね立派な社殿、参道、何か御利益有りそう!縁結び、厄除けと書いてありました。
北を富山湾、南を飛騨山脈に挟まれた富山平野を南北に走る国道41号線。同じく富山平野を南北に流れる神通川との間で並走している富山笹津線を南に進み富山空港、カターレ富山の本拠地である富山県総合運動公園 陸上競技場を過ぎて更に3kmほど南の山に向かって進むと、「塩」なる標識が掛かった交差点に出る。旧大沢野町になるのか。自家用車でドライブするようになった35年位前、車で通りかかってこの地名を見た時から、海から離れ、目の前に山が迫り、周囲には田んぼしかないこんな地に何故「塩」なる地名が付いているのか?ずーっと不思議だった。当時は読み違えたかと思い、でも気になったので道端に車を停めて、歩いて戻って確認したくらいだった。この交差点からほんの少し南に多久比禮志(たくひれし)神社が鎮座する。「延喜式」式内社で婦負郡7座の1座。近世は神通川沿い38カ村の宮川郷惣社であった。ご由緒によると「天武天皇白鳳元年(672)4月、林宿禰弥鹿伎(はやしのすくねみろき)が、神通川を船で上っている時、白髪の老人が出現し、近くの泉が潮水であることを教え、煮詰めた水から塩の生産が可能になったことからその老人を神に祀ったという」とあり、この起源譚から「塩社」「塩の宮」と俗称され、湧き出た塩水の池は昭和15年(1940)頃まで塩出鉱泉の名で利用されていたそうだ。なるほど。もっと早くに調べておけば良かった。長年のモヤモヤがスッキリした。多久(たく)は高く尊いとの意味で比礼(ひれ)は天女が纏うようなひらひらした布の意で古代は魔除けと考えられたもの、志(し)は接尾語で、高く尊い布(栲布 タクヌノ)と解されることから衣服に関係する他の神社に比定する説もある。
御朱印を頂きに訪れました。
名前 |
多久比禮志神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
076-467-0194 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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社伝によれば、白鳳元年(672年)4月、林宿禰弥鹿伎が神通川を船で遡っていると、白髪の老人が現われ、向こうの川辺の松の木の際の泉が塩水であることを伝えると、姿が見えなくなった。一行がその言葉に従って船を進めると、森に囲まれた泉があった。その水を煮つめると塩が得られた。白髪の老人は国魂神で、これはこの地を開拓せよという神託であろうと、社殿を建てて祀ったのが当社の始まりである。鎮座地名の「塩」もこのことに因むものである。彦火火出見命・豐玉姫命・鹽土老翁を祀る。