勝尾城攻防の歴史、今ここに。
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
| 名前 |
川上左京忠堅墓所 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
説明板より-川上左京亮の墓天正十四年(一五八六)七月、九州制覇をめざす薩摩(鹿児島県)の島津氏は、筑紫広門の籠る勝尾城を二万から三万の軍勢で攻め、四日間の攻防の末、勝尾城は楽城したと伝えられています。この戦いでもっとも激戦になったのが勝尾城の大手口方面で、高取城主の筑紫春門と島津氏の武将、川上左京亮との一騎打ちは有名で、両者相打ちに果てたと、今日まで語り継がれています。通称[川上田]と言われるこの地が、川上左京亮の首塚と伝えられる場所で、昭和十年(一九三五)に川上左京亮の子孫の、川上直之助氏が墓所として整備し、今日に至っています。鳥栖市教育委員会。