南北朝菊池歴史の旅、東町公園へ。
東町公園の特徴
小郡市役所の東隣にあり、立地が非常に良好です。
西鉄小郡駅から徒歩450mのアクセスが便利な公園です。
南北朝菊池一族の歴史スタンプラリーを体験できる場所です。
東町公園は、西鉄小郡駅の東450mほどの小郡市小郡の小郡市役所の東隣にある公園です。昔あった遊具も老朽化でほとんどなくなり、寂しくなりました。園内には、『筑後川合戦 大原古戦場碑』が建立されています。筑後川の戦い(大原合戦)は、南北朝時代の正平14年/延文4年(1359年)に筑後川を境にしての南朝と北朝の戦いです。南朝と北朝合わせて戦死傷者46,000人という被害をもたらせた南北朝時代の九州における合戦では最大の戦いで、日本三大合戦(関ヶ原の戦い・川中島の戦い)のひとつと呼ばれています。延元元年(1336年)第96代 後醍醐天皇は九州に皇子である懐良親王(8歳)を征西大将軍として派遣し、親王を奉じる菊池氏第15代当主の菊池武光は、高良山(毘沙門岳)に城を築いて征西府とした。室町幕府初代将軍の足利尊氏が幕府の内訌であった観応の擾乱(尊氏の弟の足利直義との戦い)を治め、八幡の戦い(尊氏の三男の足利義詮ら北朝方と後村上天皇ら南朝方との戦い)を制し、正平9年/文和3年(1354年)に南朝の支柱であった北畠親房が没すると、南朝側で北朝に対抗しうる武力勢力は、九州の懐良親王と菊池一族のみとなりました。正平14年/延文4年(1359年)7月、懐良親王、新田一族、名和一族、菊池武光、赤星武貫ら菊池一族、宇都宮貞久、草野永幸、大野光隆、西牟田讃岐守ら南朝勢約4万は筑後川の北岸に陣を張り、大宰府を本拠とする北朝・足利勢の少弐頼尚、少弐直資の父子、大友氏時、城井冬綱ら約6万と対峙し、両軍合わせて約10万の大軍が戦いました。この戦いで北朝(足利)側の少弐直資は戦死、南朝側の懐良親王や菊池武光も負傷し、両軍合わせて5,400余人が討死にしたといわれます。この戦いに敗れた少弐軍は大宰府に逃れ、九州はこの後、幕府が今川貞世を九州探題として派遣するまでの約13年は南朝に統治されました。
| 名前 |
東町公園 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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